神々の沈黙 - ジュリアンジェインズ

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カテゴリ

発行日

2005-04

読書開始日

2024-05-10

3選

  • 最初の詩人は神々だった。詩は二分心の誕生と共にはじまった。古代の精神構造における神の側は、常に韻文で語っていたのだ。少なくともそういう時代があった。つまりある時代に生きた人間のほとんどは、頭の中で詩のようなものが組み立てられて語られるのを1日中聞いていたことになる。(中略)意識の時代になっても、二分心を持ち続けていた人間は、全て神の側について語る時や、神の側から語るときには韻文を使っていたのではないか
  • 意識ある新しい人間はモーセの十戒によって外から行動を規定されるのではなく、内側から行いを改めなければならない。今や罪も意識的に願って犯す行為、贖罪も意識的に悔い改める行為となり、十戒に背けば罪、神殿に捧げ物をしたり、共同体から罪を受けたりすれば贖罪、と自動的に外側から決まるのではなくなった。(中略)イエス・キリストがユダヤ教を改革したかったのは,**二分心の人間ではなく、意識ある人間のための新しい宗教が必要だった
  • 神の声が聞こえなくなったことが、神の恩寵の根本的な喪失。これが世界の主要な宗教の源であり、第一根源。(中略)人間の堕落という仮説は、新たに意識を持つようになった人間が自分たちに起きたこと、つまり人間が自ら命令を発し、自分本位の秘密を持つようになって、混乱するうちに、神の声と確実性が失われたことを物語化しようとすることだと私は解釈している(中略)確実なもの、卓越したものの喪失と言うこのテーマは、歴史上のあらゆる宗教にはっきり示されている。(中略)真実と言う概念そのものが、文化に与えられた指針であり、大昔の確実性に対し、誰もが抱く根深いノスタルジアの一部なのだ。

メモ

遂にこれを書く日が来た. とてもではないが,この本を一度で全て理解することは困難. だが,しかしそれでいて壮大な仮説と肥沃な内容に読者はワクワクさせられページをめくる手が止まらない. 超特大骨太本である.

本書の著者である,ジュリアン・ジェインズはプリンストン大学で心理学の人気講義を長年教えていた教授. 彼は心身問題と呼ばれる,人類の「意識」がいつ発生したかということにはじめ興味を持ったらしい. ここで言う意識とは主観と読み替えても構わず,「私は〜〜をした」というような,自分が能動的に・主体的に行動を起こしたことを自分自身で知覚していることを指す. 言語学者によれば,意識の発生は人類が言語を話し始めたときに発生したと主張するようだが,彼はそれに疑問を持ち,古典を読み進めると,プラトンで主体性が消え始め,ホメロスの「イーリアス」の時にそれは完全に消えたという.

そこで彼は古代人の心理というものに対して興味を抱き,解明しようとする. 現代人の心理さえまだ謎に包まれていることが多いのに,古代人のその心理を推測しようなどという取り組みは想像を絶する. そして,彼は古代人の心理として 二分心仮説二分心仮説
神々の沈黙 - ジュリアンジェインズ にて,この仮説は提唱される


「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた[…]どちらの部分も意識されなかった」
私の心が、私に訴えてくる。「私」の中で、喋りかけてくる人と聞いている人が、別々なのである。


二分心とは何か? - ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と...
に至る.

本書で語られる 二分心仮説二分心仮説
神々の沈黙 - ジュリアンジェインズ にて,この仮説は提唱される


「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた[…]どちらの部分も意識されなかった」
私の心が、私に訴えてくる。「私」の中で、喋りかけてくる人と聞いている人が、別々なのである。


二分心とは何か? - ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙―意識の誕生と...
というのは,

「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」と考える。ここで「神」というのは、ある人が、部族の仲間や長老たちの訓戒する声を聞いたものが記憶され、それが脳の右半球で幻聴となって繰り返し響く、というものである。

二分心は、日々一緒に暮らす人々の共同体があり、そこでほぼ同じ人たちがいつもいつも同じような生業のための行動やを反復しながら祖先伝来の訓戒的な決まり文句をことあるごとに繰り返し繰り返し口から発しており、共同体の耕地や放牧地で共同作業をしている限りその決まり文句の声をほとんど一日中聞かされ続けるという生活環境があってこそ、その環境の中ではじめて脳による記憶と学習の一つの成果として形作られるものであると考えられる。

二分心の「神=祖先」の部分による声は、脳内から自然発生するものではなく、あくまでもかつて誰かの口から出た声を、耳で聞き、おそらく復唱し、そして記憶したものが繰り返し思い出されることによって、具体的な細々した指図になり「人民を食糧生産と自衛のために結束」させたわけである

古代の精神構造における神の側は、常に韻文で語っていたのだ。少なくともそういう時代があった。つまりある時代に生きた人間のほとんどは、頭の中で詩のようなものが組み立てられて語られるのを1日中聞いていたことになる。(中略)意識の時代になっても、二分心を持ち続けていた人間は、全て神の側について語る時や、神の側から語るときには韻文を使っていたのではないか

本書ではこの仮説を様々な角度から検証していく. 古典から,歴史から. そして驚くべきことは現代脳科学が病気と診断するところの統合失調症にも,二分心と多くの共通点が見られるという.

無(最高の状態) - 鈴木祐無(最高の状態) - 鈴木祐

著者
鈴木祐
カテゴリ
Business & Economics
発行日
2021-07-16
読書開始日
2024-05-08

3選

ガーナやインドの農村部に住む者が聞く幻想は「正しく生きよ」や「良い日が来る」といったポジティブな内容が混ざり,声の調子も穏やかなものがほとんどだったそうです.おかげで患者たちは統合失調症でもQOLを損ないにくく,症状の寛解スポードも...
でも述べられているが,

1980年代に複数の人類学者が行ったフィールドワークによれば,メキシコ系のアメリカ人は幻聴を「先祖の言葉」と捉え,まわりの人たちも統合失調症に寛容と同情の態度を抱きます.

これも古代人の二分心も幻聴を聞いていた可能性が高く,この幻聴は先祖の言葉,訓戒といったものと捉えられていたのだという.

二分心の始まり

何千年もの間,来る日も来る日も共同体の耕作地で共同作業を何度も何度も繰り返し続けるというのは想像を絶するような作業だろう. エジプトの古代ピラミッドの建設などを想像してみて欲しい. 一体,何万人という人間が何十年かけてあのような巨大な建造物を作り上げたのだろうか.

肉体的には著しく消耗するかもしれないが,一つ一つの作業は単調で,知的刺激に乏しく半狂乱になってしまうかもしれない. しかしそれを乗り越える手段が,祖先伝来の訓戒的な決まり文句を韻律を踏んだ詩のような形式で歌うことだった.

現代にも労働歌がある. ソーラン節はニシン漁の歌として有名であるし,Work Songによればアメリカのトウモロコシ農家の黒人奴隷などの歌が,ジャズやブルースのもとになったという. ともかく,こうした現代でいう歌や詩というものを古代人は日常的に口ずさむと同時に聞いており,それが支配的な思考となって二分心を生んだ.

統合失調症の1つのメリットは疲れを知らぬことだ。健常者より疲れを見せずにとてつもなく忍耐をすることをやってのけられる。何時間も続く検査にも疲れない。昼も夜も動き回り、疲れを全く見せずにとめどなく働くこともある。

二分心を持つ古代人も同様に疲れ知らずに,共同作業に打ち込んでいたかもしれない. エジプトの古代ピラミッドの建設なども,彼らは現代人ほどには苦痛を感じにくくいたのかもしれない.

二分心を持った古代人は,日頃歌っている訓戒に従っていれば不自由なく生活できた. 日常的に口ずさみ,聞いているため,幻聴が聞こえてくることも日常茶飯事であった. それだけ社会が単純かつ単調で,何も「主体的に」考えずとも暮らしていくことができた. 現代の統合失調症患者と同様に,何をするべきかを幻聴が教えてくれるのだ.

自分の考えが先取りされ、声になって聞こえてくる現象は、臨床医学の文献では老想化声と呼ばれており、二分心によく似ている。

実際,統合失調症の発症は20代の特に女性に多く,ストレスがトリガーなって幻覚,幻聴を引き起こすとされている. 健常者ではその閾値は高いのだが,古代人はかなり低かったと考えられる. いつもの習慣どおりに対処できないだけで,幻聴が聞こえたのだろう.

しかし,生活の中で避けられない不連続の変化がある. 仲間の死である. 共同体の仲間の死では繰り返される日常生活を一時止めざるを得ない. 古代人はこの非日常的な出来事を乗り越える時にも「二分心」を用いた. つまり,仲間の死を乗り越えるために何をするべきかを教えてくれる訓戒が,歌が,詩が幻聴で聞こえてくるのを待ったのである.

神々は中枢神経系の産物で、親のような心象あるいは訓戒する心象が混ざりあったもの。

著者が本書でこう喝破する,神の声の誕生である.

すると,人々は普段の生活で聞こえてくる幻聴も「神の声」だと考えるようになる. 神話の誕生である. 「神の声」は常に祖先伝来の訓戒的な決まり文句を韻律を踏んだ詩のような形式で歌うように発せられ,これを聞いている「人間の自分」というものも同時にいる. これが「二分心」の由来だ. 自分の中で「話をしている部分」と「話を聞いている部分」が分かれているためだ.

古代人は意識を持たず,自らの行動に責任があったわけではない.そのためいかなる行動も称賛や非難に値しない.その代わり,各人は神経系からくる命令に服従していた.その命令は声となり,聞こえた.

「話をしている部分」は常に「命令」をし,「話を聞いている部分」はそれに「従う」. 二分心持つ者は,受動的で,従順な者となって聞こえてくる幻聴を待っていたのである. まさに,これはシュメールの格言

「直ちに行動し,神を喜ばせよ」

にも現れている.

死者からもきっと幻聴・幻覚が聞こえたことだろう.

エジプトでは死者に対して手紙を書いていた例も見つかっている. これも幻聴であれば整合する. 古代エジプトには「カー」という概念がある.個々人が自分の「カー」を持つ.人は死ぬと「カー」のもとにいく.死者は「自身の「カー」の主人」であるとされる. 「カー」を二分心の声として解釈すると整合する. (一方で「バー」は亡霊のようなものとされ,鳥の姿をしていると言われている)

死者に対する埋葬品.世界同時多発的.二分心のせい.つまり幻聴幻覚があった.は神のことであった 死者の声を幻聴で聞くことができるので,偶像は大事だった

偶像もまた死者から聞こえる幻聴を具現化することに役立った. どの文明にも偶像崇拝は見られる. 古代の偶像は目の比率が大きい. 見ている者は不安感を得る.こうしたストレスが幻聴を可能にしたのだろうか. しかし,後に現れる「宗教」によって偶像崇拝は否定されていく. そう,これは宗教が生み出される以前の話なのである. そして世界宗教とは何であり,何であったかを著者は二分心の崩壊と共に解説していく.

二分心の崩壊

B.C.9000-2000年頃は比較的に気候が現代に比べても暖かかったということが知られているらしい. 作物は豊かに実り,不自由なく生活できたことであろう. 二分心の黄金時代であり,神話の時代であった. エジプトの古王朝は巨大なピラミッドを作り,メソポタミアではシュメール文明が栄えた.

しかし,二分心文明は徐々に崩壊を迎えていく.

一つは気候の寒冷化である.寒冷化により,作物が不作となると飢饉となり,大量の難民が他国に押しかけてくる. 難民が押しかけてきた街は異国語と人口増加で混乱を極めた. 彼らは皆各々の幻聴を聞いているため,街は声と音で溢れかえった.

また豊かな土地を略奪しようと戦乱が起こったのもこの時期である. 戦争によって,人が人を殺すという人間の残虐な一面が明らかになった. 二分心の人間の残虐行為は非道を極めたことであろう. 「神の声」に命じられて発せられる殺人行為には自分に責任はなく,自分はただそれに従っただけなのだ.

しかし,殺される側にも一つの変化が起きつつあった. 圧倒的な戦力差のある中,自分は捕虜となっていたとしよう. 眼前で仲間が殺される状況を目にし,二分心に命じられるまま直情的に反逆しても殺されただろう. そこで一部の人は,生き残るために欺いて耐え忍ぶということを始めた. 結果的に,それは正解だった.

戦火の中で「欺き」をできた人は生き残った.これが意識の芽生えであった.

「欺く」というのは,統合失調症患者にも見られない言動である.

統合失調症患者は薬を演じたり見せかけの行動したり、架空の出来事について話したりすることが不可能。例えば空のグラスから水を飲むふりをすることはできない。

さて,意識を持つようになった人々は「意識」という考えをこの戦乱の耐えない神も仏もない世の中で生き抜く術として広めるようになる.

しかし,それは同時に「神の声」が聞こえなくなるという結果を生む. 現代人のように幻聴が聞こえなくなったのである.

メソポタミアではハムラビが神から得た訓戒としてハムラビ法典を作った. しかしそれは同時に「神の声」を聞ける人間がこの時代には既に限られていたということだろう. 限られた人々だけが神の声の代理を伝えるようになっていたのだ.

神の声をそれでも聞きたかった人類は,一部のまだ神の声が聞こえる人々を祭り上げた. それが巫女(シビュラ)である. 巫女は無学で無垢な少女から選ばれることが多かった. 彼女らは衆人環視のもと多大なストレスとプレッシャーを与えられ,半狂乱となってようやく神の声を聞くようになる. こうした祭事的な儀式によって得られた神の言葉は神託と呼ばれるようになる. このシビュラの時代には素人の神託も多く見られた. 訓練を受けていない女性が神がかりになって,神の言葉を伝えるようになる. 時代が下るにつれ,人々は次第に神の声を聞かなくなり,そして一方で神託を待ち焦がれ,欲した. 神託を待ちわびたのは大衆の方であった. 人々は自分で決断ができず,何もかもが神頼みだった. 神の代わりの意思決定として(前兆占いやくじ占いといった)占いが台頭してきた. 二分心時代には偶然はなく神による必然しかないので,占う必要がない. このような受動的な大衆の意識改革が必要なのは明らかだった.

これが宗教の始まりである.

古代人の二分心から現代人のような「意識」を持つように促す思考改革こそが(世界)宗教だったのだ

「なぜ神々は人間の元を去ってしまったのか」これが世界宗教に共通して見られる一大宗教テーマである. 神の声が聞こえなくなったことが、神の恩寵の根本的な喪失。これが世界の主要な宗教の源であり、第一根源である。 人間の堕落という仮説は、新たに意識を持つようになった人間が自分たちに起きたこと、つまり人間が自ら命令を発し、自分本位の秘密を持つようになって、混乱するうちに、神の声と確実性が失われたことを物語化しようとすることだと私は解釈している

旧約聖書,特にモーセ五書などでは神は唯一絶対で,自信に満ち溢れ,人々に訓戒を授ける. モーセの十戒などがそうであるし,「アモス書」なども自分の心で考えている様子はない. 断固として正当で,絶対的確信に満ちている.

唯一絶対の正しさでもって,我々人間の悩みを解決する神の声を人々は待ち望んだ. しかし,時代が下るにつれそれは聞こえない. 人々は二分心を懐かしんだ. 神の声が聞こえるように戒律を守り,そして「祈り」を始める. 二分心は「聞こえる」ので祈る必要がない. 神の声が聞こえるように願う行為「祈り」は神の声が聞こえなくなったから生まれた.

やがて預言者が登場する.彼らは預言者は,二分心と主観的思考を併せ持ち,悩んだ人たちだった. 「コヘレトの言葉」に神の言及はない. 人間的に成熟しており,思いやりがあり,気遣いがあり,ためらいがちな人格となっている.

意識ある新しい人間はモーセの十戒によって外から行動を規定されるのではなく、内側から行いを改めなければならない。今や罪も意識的に願って犯す行為、贖罪も意識的に悔い改める行為となり、十戒に背けば罪、神殿に捧げ物をしたり、共同体から罪を受けたりすれば贖罪、と自動的に外側から決まるのではなくなった。(中略)イエス・キリストがユダヤ教を改革したかったのは,二分心の人間ではなく、意識ある人間のための新しい宗教が必要だった

預言者らは主観的思考でもって「意識」というものを啓蒙していく. その最も成功した男がイエス・キリストである. 聞こえなくなった神の声を求めようとする古い二分心とは決別して,自らの意志で行動をとり,自らの行動に責任感を持つことを人々に教えた. 彼は二分心から主体的意識への意識改革を行ったのである. 多くの世界宗教で偶像崇拝を禁じているのは,二分心に戻ろうとすることを禁じるためであった. これが宗教の原動力であり,真髄である.

現代でも見られる二分心

意識の時代になっても神の声を求めようとする人々は,徐々に異端であったり劣った文化であるとみなされるようになったが,それでも一部の人々は続けていた.

紀元前後には偶像崇拝が復活している. 絶対的な心身二元論では,霊魂を込めれば肉体のようなはかないものに生命が宿ると考えられていた.

プラトン「神がかりになったものは、真実をたくさん語るが、自分の言っていることの意味を何も理解していない」

憑依などはそうした人々の中で受け継がれているものだ. 憑依の最中には,両脳半球の優先のバランスが乱れ,右半球の働きが普段より活発になっていると考えられる.

1994年のNHKスペシャル 【脳と心】✔️果てしなき脳宇宙~無意識と創造性~ - YouTube では実際に神がかりとなった人に脳波を測定して,右半球の活性を認めている.

現代の降霊術「ウンバンダ」はブラジル人の半数以上が信仰しているが,これは訓練して憑依を学んでいくというものだ.

憑依には悪霊つき(ダイモニゾマイ:ギリシア語)と呼ばれる症状も認められる. 悪魔の「人格」は周囲と「契約」を結ぼうとするのが特徴で,悪魔は契約を必ず守るとされている. ヤハウェとイスラエルの民との関係に似ている.

詩歌もまた,こうした人々の中に受け継がれている. シャイールとは詩人や知る人、精霊から知識を授けられた人ということだが,歌は脳の右半分から歌われることはよく知られている. 即興のミュージカル(話しながらメロディをつける)は非常に難しいが,例えば羊飼いのように人里離れた未開の地で暮らす技術もない粗野な人間が,こうした芸当をやってのけ人々に知恵を授けていたのだということは,無学な人ほど二分心を持ち合わせていたことと整合する. やがて詩が天与の才能から人間の技能へと姿を変えながらも死にたえなかったのは,絶対性を懐かしむ心の表れだ.神の指示と言う,もはや失われた異質さと何とかして結びついていたかったから,やめるわけにはいかなかった. 実際に,ウィリアム・ブレイクは幻視と幻聴が時に何日も続き,本人の意思に反して起きる場合もあったと記しているし,リルケは幻聴で聞いた長いソネットを書き写したと言われている.

催眠もまた,受け継がれている. 催眠が過剰なまでに人を従わせる力を持っているのは,一般的パラダイム(集団内で強制力を持つ共通認識,誘導,トランス,古き権威=信頼関係)を用いて,意識を持っていてはなし得ない絶対的な制御を行動に加えることができるからだ. 二分心の人間とは,催眠状態の人間のようなものだ.

そして,精神異常者だ.

精神異常は神の贈り物であり、人間に与えられる最高の恵みの源 「パイドロス」プラトン

脳で言語を司るのは主に,補足運動野,ブローカ野,ウェルニッケ野である. 古代人はウェルニッケ野の右半球に相当する箇所が幻覚を引き起こすと考えられる. この信号が右脳と左脳をつなぐ前交連を通じて,左脳のウェルニッケ野に到達した時神の声を聞くのではないかと考えられ,実際に電気刺激を与えると,耳の中でハミング,不明瞭だが警告されている声が聞こえるという. 実験結果で興味深いのは,被験者は受動的で働きかけを受けるだけの体験だった.能動的な体験をしたという実験被験者はいなかった. 両半球は聞いたり理解できるが,話すのは左のみであることが関係するかもしれない. 例えば嗅神経は交差していないので,前交連を切った人は右穴から嗅ぐと言語化できないが,左穴から嗅ぐと言語化できる. 右半球は全体を見るため,神の視点であるが,左半球は部分のみを見る. イーリアスには「体全体」を表す言葉がない.胴体のパーツの寄せ集めで表現することとも符合する.

右半球の言語野が言語機能の主導権を握るとき,ジルドラトゥレット症候群(汚言症)や異言(意味不明の外国語のようなものを話す)などが知られている.

そして統合失調症との関連性について.

統合失調症患者と二分心を持つ人の特徴は、幻聴があること、意識の劣化、すなわちアナログの私が失われ、心の空間が蝕まれ物語化ができないこと

自分の考えが先取りされ、声になって聞こえてくる。現象は、臨床医学の文献では老想化声と呼ばれており、二分心によく似ている。

本を読もうとすると、自分より先に声が読んでしまう。話そうとすると、もう自分の考えが話されているのが聞こえる。

幻聴はなぜ起きるのか。なぜ声を聞く現象はあらゆる文化に共通なのか。普段は抑制されている脳の構造があって、この病気のストレスを受けると活性化するからではないのか。

統合失調症患者には脳の右半球の方が左半球より多く活動していることが知られている。

どちらの脳半球の方が活動的か数秒ごとに測定するように脳波形をセットすると、大抵の人は1分に1度位の割合で左右が交代することがわかる。だが、統合失調症患者はおよそ4分おきにしか切り替わらない。統合失調症患者は、一方の脳半球にはまる傾向があるため、健常者ほど素早く情報処理のやり方を別のやり方に変えることができない。

慢性統合失調症患者の死後解剖の結果、2つの脳半球をつなぐ脳梁が正常な脳より1ミリメートル太いことがわかった。これは統計的に信頼できる結果だ。統合失調症患者の脳半球の方が相互抑制が強いことを意味しているのかもしれない。

ストレスなど神経科学的な変質などで、左側頭葉皮質の機能が甚だしく行われると右側頭葉皮質に正常な抑制が効かなくなる。右半球が通常の抑制からとき離たれるため、9割もの患者がかなりの幻聴を伴う妄想型統合失調症にかかる。

統合失調症患者はこうした様々な点で健常者とは異なった症状を示し,そして世界を違ったように知覚している. しかし,それは我々人類が二分心によって数千年前に通ってきた道なのかもしれない.

真実に抱く根深いノスタルジア

紀元前1000年以前の壁画や彫刻はどれも慎み深い。例外がないわけではないが、性的な意味合いを含む描像はほとんど存在しない。

ところが、意識の登場ともに状況が変わる。はっきりとした証拠が残っているギリシアではとりわけそうで、初期の古代ギリシャ、社会の異物は慎み深さとはまるで無縁だ。

実際同性愛はこの時代になって初めて生まれた。思うに、これは人間が新たに獲得した空想の力によるところもあるだろう。同性愛はホメロスの死には一切登場しない。

神の恩寵の根本的な喪失という仮説によって神の声が聞こえなくなったことを人類の堕落で説明しようとした宗教は,今や科学によってその座を奪われている.

近代以降科学は新たな「神」の座を欲しいままにしている. 人間は科学的思考によって判断をするようになったし,科学によって得られた知見を「真実」として「信じる」ようになった.

しかし,その「真実」というものを希求するのは何故だろうか. この隠された神性の不断の探求心はどこから来るのだろうか.

真実と言う概念そのものが、文化に与えられた指針であり、大昔の確実性に対し、誰もが抱く根深いノスタルジアの一部なのだ

「真実」というのは,常に一つであって欲しいし,森羅万象の仕組みに説明をつけ,その確実性,一貫性,整合性は完全無欠であって欲しいという人類の勝手な思い込みなのだ.

何万年もの間何百世代もの太古の昔の人類はそれを耳にし,それに従って平和に平穏に暮らしていた. 二分心を手放して以降,我々はずっとその確実な世界にノスタルジアを感じている.

その確実な世界に戻れるのであれば,人々は神の訓戒・命令を喜んで聞きたい. 思考や悩みを放棄して,完全なる存在から与えられる訓示に従って我々は生きていたいのだ.

二分心が崩壊して,人間が文字と意識を得て,神々は消えた. 意識の誕生は生物学的変化ではなく学習によるものとする,この二分心仮説の壮大さは2000年紀の最後に舞い降りた心理学の偉大な金字塔だ.

これは今なお続く世界宗教の2000年以上にわたる対立を紐解く大きな鍵となるのではないだろうか. 間違いなく3000年紀に残された我々人類の大きな思想革命・意識革命となるであろう.