論破という病 - 倉本圭造

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著者

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カテゴリ

発行日

2025-02

読書開始日

2025-04-10

3選

  • 今の時代は「思想」と「社会の現場感」のどちらか片方だけから社会を切ろうとしても限界があり、両者を往復しあい、全く新しい活路を見いだしていくことが必須となっているからです。(中略)「メタ正義感覚」は、相手が持つ正義も自分が持つ正義も、両方を尊重する世界観(中略)「相手の”言っていること”ではなく、相手の”存在意義”と向き合うこと」
  • 幕末の英雄である高杉晋作は「人は艱難を共にすることはできるが富貴は共にできない」という名言を残しました。経済的に繁栄すればするほど今までは我慢できていたほんの小さな食い違いだけでも人々はイライラするようになりますし、その結果として「同じ社会を共有している」という前提ごと吹き飛びはじめると、相互信頼が失われて疫病や外敵の侵入といった危機に脆弱になり、「オープンさ」どころではなくなってしまいます
  • 私達が望むのは<普通にスマホからフラッと求職ウェブサイトに登録して適当に見つけた職場で頑張っていれば、夫婦二人でまあ普通に子どもも育てられるというような環境>をいかに作り出すか?ですよね。そのためには、「正義の自分たちが悪のあいつらを倒しさえすれば全てが解決する」というファンタジーではなく、「自分自身もその連環の内側にいる」ことを理解した上で、それでも明確に最低賃金を引き上げていくのだ、という意志が必要なのです。

    メモ

    最初にこの本を知ったのが2/28だから1ヶ月と1週間ぐらい積読していたことになる.元外資コンサルから独立系中小企業コンサル,そしてブルーカラーの仕事も様々に経験した経歴を持つ倉本圭造氏による本書は自身がコンサルティングをしていくなかで知り合った中小企業経営者やSNS上での議論,そして氏が中心となって年齢も職業もバラバラの人々からなる「文通相手」から得た知見を元に構成しているというから驚き

「理想」と「現実」,「経営」と「現場」のような二項対立を「水の世界」と「油の世界」という例えで線引を行った本書は,相手を攻撃するのではなく相手の存在価値を包摂する「メタ正義感覚」が令和の建設的な議論で必要になるのだ,と説く.

  • 「水の世界」:合理的な意思決定.グローバリゼーション.水のようにサラサラと居場所を変えられる.個人主義.経営.ホワイトカラー
  • 「油の世界」:慣習的な意思決定.ローカリゼーション.こってりとした油のように居場所を変えない.集団主義.現場.ブルーカラー

日本は昭和の遺産である油の世界から抜け出せずに,そして平成のカイカクでもそれを現場が拒否し,ダマシダマシ延命してきた.その結果,世界の中でグローバリゼーションから取り残され,失われた30年と言われるような経済停滞を引き起こしたが,一方で欧米ほど顕著でない経済格差など良い面もあるという.

物事の良い面と悪い面を丁寧に解きほぐし,両面から包摂する.自分の正義と相手の正義を同じ熱量で取り入れた上で,その両方の良い点を享受するような,一歩踏み込んだ(リーンイン)視点を提供する「メタ正義感覚」を持たねばならない,という.

あやしいビジネス書みたいなレベルで「傾聴が大事です」という言説が広まっているために、こちらの目を見て完璧なタイミングで相づちを打ちまくってくれるものの、頭の中は「どうやって論破してコイツを黙らせてやろうか」みたいなエネルギーでいっぱいになっている人、現代社会にいっぱいいますよね? そういうペラッペラの表面上の相手への尊重が溢れている時代に、真にメタ正義的な動きをしたいなら、それはフィジカルなレベルまで浸透したものでなくてはダメだ、ということは何度強調しても足りないぐらいです。だからこそ、「メタ正義感覚とは何か」を考える時に、ぜひ、ちゃんと使えば驚くほどスパアーッ!と切れる包丁体験を、思い出すようにしてみてください。

「メタ正義感覚」は頭で理解しただけではなく「フィジカルなレベルまで浸透したものでなくてはダメ」

一部のエリートにとっては「水の世界」の方がよほど快適です。一瞬でパッと話が通じる高度な知的能力がある、選ばれた人間同士だけと付き合えば良くなり、ちょっとでも面倒くさいと感じれば「人それぞれ、自分が輝ける道があるよね!」と建前だけ投げつけてあとは一切関心を向けずにほったらかしにできてしまうからです。 (中略) 当時の外資コンサル”では、一定以上に出世するにはアメリカの名門大学のMBAがほは必須というような文化が一部に残っており、オフィスを歩いているだけで、アメリカ名門大学エリートのカルチャーを全身から放射しているような人を多く見かけました。 彼らは常に大変自信があるように見せているし、他人への配慮が行き届いた爽やかな人格者であろうという気概に満ちていて、まず見た感じがものすごく魅力的です。 一方でその爽やかな笑顔の背後で、日本人的に見ると他人をサラッと見切ってしまう感じがあるのも共通していました。

水の世界では積極性(他人への配慮・自信・爽やかな笑顔)だけが意味を持ち,興味を持たなくなったら放置すればよい,というドライな世界.油の世界はそうではない.もっとそこには人間臭い付き合いがあり,「相手が嫌いなことも好きでいられる」のようなウェットな世界.

何も悪いことをしていないように思っている善人の集団が回り回って生み出す「悪」や、どう見ても悪人という存在が社会の基礎の部分を崩壊から守っている「善」性といった、何周もして戻ってくる因果関係の結び目を丁寧に丁寧にほぐしていく作業が必要なのです

まさにヨーロッパの諺である「地獄への道は善意で舗装されている」 "The road to hell is paved with good intentions" や「地獄は善意で満ちているが、天国は善行で満ちている」"Hell is full of good meanings, but heaven is full of good works" のこと.見かけに騙されず,これを解きほぐすことが必要.

(阪神淡路大震災後のローカルな人々の優しさに触れて)個人主義者で(狭義の)合理主義者みたいな存在からすると、憎らしくてたまらない”何か”によって支えられている共通善のようなものがあるのだ、と痛感せざるをえない体験をしたわけですね。

これが油の世界の強さだ.油の世界の住人は,水の世界の住人が忌み嫌う"何か"でもって,共通善に訴えかける.これは個人ではなく,人間に共通する根源的な渇望であり,感情である.

ここで引用したことは全く持ってそのとおりだし,氏の言うことは正しい.極論に偏るほうが人間楽なのでそういう二項対立のどちらかに陥る.それではいけないのだと言う.


また,本書はケーススタディの中で現在の日本を取り巻く様々な議論に対して,取材を踏まえ,両者の意見を記載しており,とても勉強になった.

特に著者の専門である中小企業経営論では次のようなことが言われている

「日本は中小企業があまりに小さいサイズのまま放置されているので、それが生産性の効率化を妨げている」

この結論としてデービッド・アトキンソンを引き合いに出し,次のようなことを述べている.

ざっくり言うと彼の主張は、 <日本の1社当たりの平均従業員数(つまり平均的な”会社の大きさ、)は1964年を境に劇的に小さくなっている>

その理由は、1964年にOECD(経済協力開発機構)に加盟するにあたってその前年に「中小企業基本法」が制定され、会社を大きくするよりも小さいままにしておいたほうがトクになる制度がいくつも導入されたからである

<小さいまま成長を目指さず、労働者をコキ使い、利益をできるだけ出さずに赤字にして税金を払わない企業が放置され、逆にちゃんと経営されていて成長余地のある企業は人材などのリソースを集めづらい状態が続いている>

<この制度を改め、「中堅企業」にある程度集約したほうがトクな制度に切り替えていくことが重要だ>

日本にゾンビ企業が多いと言われているのはどうやら本当らしい.しかし,著者の偉いところは「じゃあ中小企業経営者はみんな潰れればいいよね」とならないところだ(そんな本は世の中にごまんとある)

著者は「メタ正義感覚」でもって

A 中小企業のある程度の統合を妨げないことが経済合理性的に重要であり、働き手の給料を上げるためにはどうしても必要だという経済学的ビジョン自体は正しい

B 一方で「あの零細小売店がバタバタ潰れたら一気に日本は良くなりますよワッハッハ」みたいな風潮が社会に蔓延することは絶対に防がなくてはいけない

を両立させることを強く訴えているし,個人的にもそれは正しいと思う.

…さて本書を踏まえて,個人的には色々と思うことがあり,思いつくままに書いてみると

  • 「メタ正義感覚」ってアウフヘーベンのことだよね
  • そもそも二項対立のいずれかに偏るのは一神教の地域で,非一神教の地域はそれほど自分自身の「正義」を強く信じていないのでは(本書では「欧米」vs「非欧米」の構造で書かれている)
  • どんな神を信じるか否かという次元の話は現代ではもう殆ど誰もしていなくて,一神教的な唯一絶対の正義を信仰するか,多神教的な唯一絶対のものはなくて対立する正義を包摂して「和を以て貴しとなす」信仰があるか,が21世紀の宗教観として存在するのではないか
  • 一神教的な唯一絶対の正義を信仰する力は絶大で,例えばダイヤモンド産業で存在感を発するインドのジャイナ教徒(厳密には一神教ではないが,戒律が厳格という意味で)は「嘘をつくと地獄に落ちる」ため彼らの熱心な信仰心から,雁物の取引リスクは少なく,非常に信用のおける取引ができるのだという.そんな奇特な例を持ち出さなくても,現代は「科学主義」全盛期であり,科学者やエンジニアというのは「科学」や「データ」という新たな神に代わるものを扱うものとして,古代の神官のような特権的な地位を持っている

ともかくとても考えさせられる本であったし,勉強させられる本だったし,また日本に希望も持てた.面白かった.

しかし, 倉本圭造の公式ウェブサイト のドメインが how to beat the USA なの面白すぎる.