移動と階級 - 伊藤将人

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著者

伊藤将人 Private or Broken Links
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カテゴリ

Social Science

発行日

2025-05-22

読書開始日

2025-09-13

3選

  • 移動の自由が人々の権利として認められていることは、理不尽な支配や統治に抵抗するための最低限の条件なのである
  • 戦後日本を代表する批評家・思想家の柄谷行人は、「僕の考えでは、人類史の大きな境目は定住にある。人類がなかなか定住に至らなかった原因の一つは、密集することで疫病が蔓延するからです。現代ほどの人口を抱えることは人類史になかった。移動の激しさはその次にくる要因でしょう。コロナは人類史そのものの問題なんです」と語っている
  • 「移動はアントレプレナーシップを高める」というより、「移動は"高度人材"のアントレプレナーシップを高める」のであり、「移動がイノベーションを生み出す」というより、「移動が”高度人材”のイノベーションを生み出す」のである。

    メモ

    「移動と階級」というセンセーショナルなタイトルに惹かれて読んだ.この本では「移動とは社会的であり、政治的である」というテーゼを展開する.

戦後日本を代表する批評家・思想家の柄谷行人は、「僕の考えでは、人類史の大きな境目は定住にある。人類がなかなか定住に至らなかった原因の一つは、密集することで疫病が蔓延するからです。現代ほどの人口を抱えることは人類史になかった。移動の激しさはその次にくる要因でしょう。コロナは人類史そのものの問題なんです」と語っている

移動の対義として定住を取り上げている.定住が境目だったことは間違いないが,人類は元々は「移動」して生活する生き物だった.もしかすると我々が「旅行」を好むのもそうした先祖の記憶を思い出しているのかもしれない.あるいはADHD(注意欠如・多動症)の人たちは脳内のドーパミン伝達が弱い・不安定であることが知られており,彼らは環境の変化(移動)で脳を刺激してドーパミン放出を促す傾向にあるが,むしろ彼らの方がかつての人類に近かったのだと言えそうだ.運動脳 - アンデシュ・ハンセン 御舩由美子 Private or Broken Links
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参照


著者は「移動ができる人」について触れる. 我々はいつでも好きな時に移動できると考えられがちだが実はそうでもない.例えば「高齢者、障害者、健康でない人」という人たちは物理的に移動が困難だし,「女性」は文化的・社会的に移動が難しい.

障害者の公共移動手段の利用についてはその歴史的経緯を知らなかったので勉強になった.

これらの制度は、障害者の移動の権利を保障するという意味ではとても不十分だった。そうした状況を変えるために、1976年に川崎市で起きた路線バスの「介助者なしの車椅子による乗車のお断り」をきっかけに、1977年、脳性まひ者の運動団体(青い芝の会)によって、バスを占拠し35台を運休においやる出来事(川崎バス闘争)が起こされた。この運動は、各地に障害者の権利拡大を目指す運動として広がり(高橋:2019)、「バリアフリー問題」を社会に知らしめた。なお、障害者の移動する権利を獲得する運動は、日本だけでなく欧米諸国でもあった。 その後、1981年に日本で初めての障害者に対応した交通政策「交通弱者のための交通施設盤備(運輸政策審議会)」が始まった。裏を返せば、日本における障害者の交通政策には40年ちょっとの歴史しかないとも言える(松原:2018)。 その後、1980年代、1990年代と障害者の移動をめぐる問題が世間の目に触れることになり、2000年代に入るとさまざまな盤備が進み大きな改革が起きた。 特に2000年の「交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)」と、2006年の公共交通機関・施設および広場・通路などのバリアフリー化を一体的に推進することを定めた法律「バリアフリー新法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)」は革新的で、障害者の移動の権利が政策的に大きく促されていくこととなった。特に象徴的なのは、バリアフリーの促進である。一例だが、1日 5000人以上の乗降客のある駅において段差解消が行われた駅の割合は、2000年度の28・0%から2012年度には89・9%へと大幅に改善した 近年は2013年の交通政策基本法によって駅のホームドア設置数の増加や、心のバリアフリー対策が進められている。さらに、2020年のバリアフリー法改正で、聴覚障害 および知的・精神・発達障害に係るバリアフリーの進捗状況の見える化が留意点に含まれるなど、移動に関わる課題をより多角的に捉え、その解決に向けた制度整備が行われている(野村:2025)。

つまり,障害者らは,公共の移動手段を必ずしも我々と同じサービス水準を享受していない.

わたしが行き当たりばったりに出かけることができるのは、この社会がデザインされた対象にわたしが含まれているからだ。(後略) 障害のある人が、あらかじめ念入りに計画しなくても好きなときに新しい場所へ出かけることができるだけでなく、気分によってルートを変えたり、間違えたときに軌道修正したり、気軽に寄り道したり、といったことが可能になってこそ、公平な社会と言えるのではないだろうか。(田中:2024)

実は移動できるのは限られた人であることをこの本は明らかにする.


また,移動の自由が完全に保障されれば(いつでも逃げられるので)暴力は力を失う.例えば刑務所は移動の自由を奪うことを刑罰としている.この世界から暴力はなくならないが、移動の自由を完全に保障することで暴力を無効化することができる可能性についても触れる.

表現の自由、言数の自由、学問の自由、結社の自由、職業選択の自由など、私たちの暮らしは多くの自由を権利として認めることで成り立っている。それらと比べると、一見、移動の自由は地味に映る。しかし、掘り下げて考えていくと移動の自由は決して数ある自由のうちの一つではないことがわかる。なぜなら、移動の自由を制限されることは、人間にとってとても重大な帰結をもたらすからである。 もし、あなたが誰かを暴力的に支配しようとしても、自由に移動ができる限り、暴力だけで支配することは難しい。なぜなら、暴力から逃げれば支配からも逃げられるからである。國分は言うー「移動の自由は支配と服従から逃れる可能性の根本なのである」と。 もちろん、単に移動の自由さえ権利として認められていれば不当な支配の問題がなくなるわけではない。DVや闇バイトの問題などは、個人の移動の自由が保障されていても、なかなか逃げ出せないし、逃げ出せないような支配が行われている。しかし、それでも、移動の自由が人々の権利として認められていることは、理不尽な支配や統治に抵抗するための最低限の条件なのである。


また,移動と成功についての関係についても著者は触れる.

実業家の堀江貴文は、現在は業界の壁を軽やかに飛び越える「越境者」が求められる時代にあると言う。そして、こうした時代には、いくつもの異なることを同時にこなせる「多動力」が最も重要な能力であると主張する。

移動に価値を見出す成功者たちがいる.移動すれば成功なのだろうか?これは明確に否定することができる.なぜなら難民などを考えると彼らは「移動」しているがとても成功しているとは言えない.

本書は難民と成功者の移動の違いを紐解き,次のように結論づける.

つまり、「移動はアントレプレナーシップを高める」というより、「移動は"高度人材"のアントレプレナーシップを高める」のであり、「移動がイノベーションを生み出す」というより、「移動が”高度人材”のイノベーションを生み出す」のである。

これは全くそのとおりだろう.移動していると色々と新しいことを思いつく.これが高度人材の場合,新しいイノベーションに向かうことが多いのだろう.

行き詰まったら旅に出よう.