生き心地の良い町 - 岡檀

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著者

岡檀 Private or Broken Links
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カテゴリ

発行日

2013-07-22

読書開始日

2024-10-29

3選

  1. 自殺希少地域は傾斜の弱い平坦な土地で、可住地人口密度が高く、海岸部に属する市町村に多いという傾向が示され、面する海域は太平洋と瀬戸内海が多かった。
  2. 日照時間は自殺率に対して負の影響を、積雪量は正の影響を与えていた。
  3. 標高と傾斜度については、標高が約三百メートルをピークに自殺率への影響が横ばいとなっているが、傾斜度は大きくなるほど自殺率への影響が強まり、傾斜十五度を超えた地点から危険度が急速に強まった。

    メモ

    自殺率の高い地域ではなく,自殺率の低い地域に着目した研究について解説している本.日本で自殺率の低い順から市町村を並べると,島嶼部を除くと,徳島県の海部町という地域になるらしい.近隣の町と比べても圧倒的に低いという.このデータの興味をもった著者がこの町に滞在し,その特徴を解き明かすという内容.

この町の住人の特徴としては次の5つ

  • いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
  • 人物本位主義をつらぬく
  • どうせ自分なんて、と考えない
  • 「病」は市に出せ
  • ゆるやかにつながる

海部町というのは,江戸時代の初期、海部町は材木の集積地として飛躍的に隆盛した。一説によれば、豊臣家が滅ぼされた大坂夏の陣のあと、焼き払われた城や家々の復興に充てる大量の材木の需要があり、近畿からの買い付けが阿波の海部町にまで及んだという。
近隣町村はいずれも豊かな山林を有しているのだが、海部町には山林という資源に加えて、山上からふもとまで丸太を運搬するための大きな河川があり、さらには大型の船が着岸できるだけの築港が整備されているという、理想的な地の利があった。短期間に大勢の働き手が必要となった海部町には、櫻金を狙っての労働者や職人、商人などが流れこみ、やがて居を定めていく。

色んな町から人がやってきた地域であるという歴史があることから,この町では今でも多様性を受け入れる精神が根付いているのだという.多様な人々が集団にいると,色んな意見があるため集団が同じ意見にならず,「カルト的」になりにくい.いじめなども少なくなる.

話題が盛り上がろうとするときに、水を差す、話の腰を折る者が集団Bにはいるのである。考えようによってはかなりKYなー空気を読まない人たちであるが、こうした人々のことを、私はひそかに「スイッチャー(流れを変える人)」と呼んでいる。
集団が同じ方向を向き、一気にその方向へ進む。こうした状態は力を集約し増幅させていくには有効だが、ネガティブな方向にも同様に作用する。インターネット上で、ある対象への誹謗中傷が殺到する状態しいわゆる「炎上」がその典型といえよう。まさにネット「炎上」は、水を差してクールダウンさせる者が不在であること、群果が一気に同じ方向へと雪崩を打って進むことによって起こる。その意味において、集団は均質であるより、異分子がある程度混ざっているほうがむしろ健全といえるのかもしれない。

多様性のある集団では,集団全体が方向性を持たない分冷静さを持ち,暴走しないということを筆者は指摘する.

海部町の人は、他地域の人に比べ、世事に通じている。機を見るに敏である。合理的に判断する。損得勘定が早い。頃合いを知っていて、深入りしない。このほかに、愛嬌がある、という表現を用いた人がいたが、これは言い得て妙であって、私も同感だった。
こうして並べてみると、確かに「生活していく上で賢い」と評される海部町民の気質がよく表現されている。他町の人々が感じた海部町気質、そしてこれまで私自身が見聞した海部町民に独特の行動パターンなどを合わせ、すべての根っこにあるものは何かと考えたときに、冒頭のこの言葉に思いいたったのだった。
海部町の人々は、人間の「性」や「業」をよく知る人々である。

海部町の人々はこのようにどこか達観しているような人が多いと筆者は指摘する.それは次のようなデータからもわかる

海部町とその両隣に接する町を比較した場合、海部町の住民幸福度は三町の中でもっとも低い。つまり、「幸せ」と感じている人の比率がもっとも小さい。 (中略) 「ほれが(幸せでも不幸せでもないという状態が)自分にとって一番ちょうどええと、思とんのとちゃいますか」そう言った人がいた。”ちょうどいい”とは、分相応という意味でしょうかと私が尋ねると、その人は少し考えたのちに、「それが一番心地がええ、とでもゆうか」と言い足した。同じようなことを言った人が、ほかにも数人いた。 (中略) 「不幸せ」という状況に陥りたくない人は多いだろうが、では「幸せ」ならよいのかというと、考えようによってはさほど結構な状況でもないのかもしれない。「幸せでも不幸せでもない」という状況にとどまっていれば、少なくとも幸せな状態から転落する不安におびえることもない。そういうことを、この人は言いたいのかもしれないと思った。幸福感というのは客観的な指標ではなく、その人の極めて主観的な観念であり、同時にそれは、相対的な評価でもある.

こうした賢明で,冷静さを持った人々が集い,軋みのない町であるからこそ権威よりも人物本位主義で人を見定めることが定着化している,ということらしい.

「病」は市に出せ,というのは昔から伝わる海部町の精神で,「病」というのは文字通り病気のこともあるし,もっと広く「自分の困ったこと」「悩み事」のようなものを指すという.つまり,この言葉が意味することは「困ったことは早めに人に相談しよう」=「痩せ我慢はするな」という意味になる.

これが色濃く出るデータがある.海部町のうつ受診率である.

医療圏内の精神科病院の統計から海部町と近隣町住民のうつによる受診率を比較した結果,海部町住民の受診率がもっとも高いということが確認された.これは軽症でもみな直ぐに病院に行く習慣があるから,早期診断に繋がるのだという.

また,海部町の人々は他人に関心が高い.これは個人的には田舎町には共通するのではないかと思うのだが,事実,筆者が目撃した井戸端会議ではこのようなやり取りがあったという.

ひとりの女性が「そういや、よ」と周りを見回し、「知っとる? 〇〇さんな、うつになっとんじぇ」と切り出した。これを聞いた途端、残りの女性たちは一斉に、「ほな、見にいてやらないかん!」「行てやらないかんな!」と異口同音に言った。うつになったその隣人を、見舞いに行ってやらねば、と言っているのである.

このように人が次々に見舞いに来れば,うつ病は直ぐに快方に向かったことが予想される.都会では希薄だが,海部町にはこうした繋がりがあるのだという.

筆者は,研究を通じて論文で次のように結論付けている

自殺率を高めたり低めたりするのにもっとも影響をあたえていたのは「可住地傾斜度」であり、次いで「可住地人口密度」「最深積雪量」「日照時間」「海岸部属性(海に面していること)」の順であった。

要は,海岸部の平坦な土地で、可住地人口密度が高い地域であり,これは海部町に当てはまる.しかし,地理的条件だけが原因ではないことを著者は繰り返し強調している.あくまで傾向があるということだ.   海部町に住まない我々はどうすればよいのか.それに大して著者は次のように薦める.

明日から「どうせ自分なんて」って言うの、やめませんか。だって、あまり深い意味もなく使っていて、使ったからっていいことは特に何もないのに、一方で子どもたちに悪影響が出ているかもしれないのだとしたら、やめたほうがよくないですか。私自身も、一生言わずにすむかどうかはわからないけれど、心がけてみようと思ってるんです。

先日,選挙があった.「どうせどこに投票しても」と思っていたが,開票してみるとどうやら日本の近現代史に残る大波乱であったようだ.日本の若年層と高齢者層で明確に支持政党が別れ,中途半端な獲得議席数となった.まだ完全な転換にまでは時間を要すると思うが,この転換期の日本を見られることを幸運に思う.