著者
難波優輝 Private or Broken Links
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カテゴリ
Philosophy
発行日
2025-07-17
読書開始日
2025-09-13
3選
- 目の前の状況に関心が湧いてこないのはなぜか。いろいろな回答ができよう。私の答えは、「その状況に自分が必要ないから」だ。その状況に自分が必要なとき、人は無関心ではいられない。目の前で子どもが倒れたとき、あなたは「助けなければ!」と強烈に「呼びかけられる」。弱い者を守らなければ、という良心の呼びかけが、あなたの関心を奪う。あなたでなければならない。あなたがあの子を助けなければならない。
- どんな対象にどんな情動を抱きたいかを、主体的にデザインしていくことが求められる。感情的なことは政治的なことなのだ。結局、「適切な情動」へ向かうためには、物語が「あるべき情動」の提示という、情動のルールをつくる、または強化する行為を経ていることを意識し、ルールの是非について、人々の間で議論することが必要だということになるのだろう。ある物語に対する反応として適切だとされる情動は、私たちにとってより望ましい情動なのだろうか、と。
- オスカー・ワイルドの有名な警句として、「芸術が人生を模倣するのではない、人生が芸術を模倣するのだ」というものがある。・・・・・・ワイルドの考えでは、すでにある現実を芸術が表象するのではない。むしろ、芸術によって現実が、より慎重な言い方をすれば、現実を見る見方が作り出されるのである。これと同じことはゲームにも言えるだろう。わたしたちは、「無理ゲー」「ガチャ」「MP」「フラグ」といったゲームメカニクスを指す用語を使って現実を理解することがしばしばある。(松永 2019,236)
メモ
物語化,とは人々が誰かに伝えるとき物語を作ることを指す.
例えば就職活動.自分自身の自己紹介を求めたら,それを時系列に淡々と話すよりも,何かの一貫したストーリーを持って話すことを求められる.このストーリーには多かれ少なかれ虚構が含まれることもある.
人間は物語が好きだ.その方が分かりやすく,そしてドラマチックであり感情に訴えかけ,記憶に残る.人間は古くから物語を使って親から子へ伝えられる.叙事詩などはその典型だ.
物語は何が良くないのだろうか.著者は,物語化することそれ自体の不愉快さをあげる.
自分のためでさえない,誰かのための(面接官のための)物語化を強いられることの苦痛である.自分が実際に生きた人生の流れではなく、面接のために自己の過去を組み替え、ときに文字通りの作り話=フィクションを面接の場で語らされる。自己分析という名の強制物語化によってその者は、自己の予測可能性を他人のために用意することを強いられている。
ここまで言うか…?って感じだが,まあ言っていることは正しい.著者はまた物語を作るに際し,過去をそのまま思い出すことは不可能であることを挙げる.
そして何より、私たちは過去を「理解」するとき、思い出すのではなく、それを語り直す。過去をそのまま思い出すことはできない。なぜなら、過去とは本質的に、現在の私たちの語りによって更新されていくものだからである。
きっと著者は他者に非常に誠実にあろうとしているのだろう.過去を語るときに時たま含まれうる記憶違いや嘘を排除したいのだろう.
就職活動の入口で「物語化」を強制させられるのは恐らく仕事の中で必要になる方便ができる人がどうかのセレクションの色合いが強いと個人的には思う.
物語化そのものを求めていると言うよりも,仕事で様々な人と接する時に「物語化」が必要になるので,その物語の一つや二つを作れることを入口で確認して,担保しているのだと思う.
ものごとを理知的なまなざしで分析する分析家は「私は感情的にはならない」「私は気分を感じていない」というかもしれない。しかし、そうした、観想的な態度もまた、一つの気分なのである。それは、一見無色透明に見えて、実際のところは、論理的なものへと注意を傾け、その態度自体が喜びになるような、いわば「論理的気分」なのである。
さて,著者は物語化批判として次の4つの「遊び方」を提案する
ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃという四つの遊び方は、遊びの哲学で取り上げられてきた。最も重要な論者である、ロジェ・カイヨワは『遊びと人間』において、遊びをアゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)の四つに分類する(カイヨワ 1990)。アゴンはゲームに、ミミクリは物語に、アレアはギャンブルに相当する。加えて、イリンクスにあたるおもちゃ遊びは、子どもたちが必ずする遊びであり、その人類に普遍的なところに、私は物語のオルタナテイブとなる可能性がある、と考えている
| 遊び方 | 時間のあり方 | 遊びの構造 | カテゴリ | 美的特徵 | | :—– | ———– | —– | ——————————- | ———— | | 物語 | 通時的 | 理由と関係 | 物語(小説、演劇、エッセイ、映画、悲劇、喜劇) | 理解と情動 | | ゲーム | ゲーム毎の反復と連なり | 課題と挑戦 | ゲームプレイ(RPG、格闘ゲーム、育成・恋愛シミュレーション) | 達成と成長 | | パズル | 止まった時間 | 謎解き | クロスワードパズル、ジグソーパズル、謎解き、探偵小説 | じりじりとハッとすること | | ギャンブル | 賭け以前以後の断絶 | 賭け | ギャンブル(くじ、競馬、パチンコ、丁半) | 不明性の崇高と〈現実〉 | | おもちゃ遊び | 時間のない現在 | 遊動 | 世界のあらゆるものを用いた遊び | 軽やかさ | 五つの遊びの比較
人生が物語でないとすると,そこに現れる他の見方で最も代表的なものはゲームであろう.確かに,人生はゲームのようでもある.
そもそも「人生はゲームである」という見立ては、一体何を意味するのだろうか。ゲームの美学を研究する松永伸司は「ゲームが人生をシミュレートするのではない、人生がゲームをシミュレートするのだ」と指摘する。 オスカー・ワイルドの有名な警句として、「芸術が人生を模倣するのではない、人生が芸術を模倣するのだ」というものがある。・・・・・・ワイルドの考えでは、すでにある現実を芸術が表象するのではない。むしろ、芸術によって現実が、より慎重な言い方をすれば、現実を見る見方が作り出されるのである。これと同じことはゲームにも言えるだろう。わたしたちは、「無理ゲー」「ガチャ」「MP」「フラグ」といったゲームメカニクスを指す用語を使って現実を理解することがしばしばある。 (松永 2019,236)
「人生がゲームをシミュレートする」というのはなかなか示唆的だが,同時にゲームであるがゆえのルールの変更不可能性が,この遊びをつまらなくもする.
道的規範といったルールを変更不可能な「前提」としてしまうという点だ。「ルールの改変」はゲームのメタファー中に埋めこまれづらく、それゆえに、多くのゲーム的主体は、ゲームのルールを攻略する、適応する、うまくやる、という発想しか出てこない。けれども本来は、「ゲームそのものを新しく作り変える」ことや、「既存のゲームのルールを大胆に変更してしまう」行為も可能なはずだ。
ゲームとして捉えたとき,その「ゲーム」はあまりにも目的的である.ゲームとして考えることは「達成と成長」を生むが,同時に息苦しさを感じたり,理想と異なる現実に鬱になる人も出てくるだろう.
そこで登場するのがパズル的考え方だ.人生をパスルとして遊ぶときそこには時間がないのが特徴で,謎解きのアハ体験(「じりじりと真実ににじり寄り,ハッとする」体験)を良しとする.これは陰謀論的人生観をうむ.
陰謀論的人生観はこの世界を少なからず歪めて捉えてしまう.現実よりも,パズル的整合性・面白さに奪われてしまう.
ではこの世界の現実をありのままに触れる価値観とは何か.これは「ギャンブル」である.
ギャンブル的主体は、「現実」に触れることを喜ぶ。しかし、再び象徴的秩序へと帰りたいと思っている。そうでなければこの象徴的秩序を暮らしてはいけないからだ。 彼が取り戻そうとしているのは、失った貨幣そのものではなく(本人がそう言っているとしても)、貨幣に対する失われた欲望である。 (Bjerg 2009, 63) だが、ある線を越えてしまうと、帰って来れなくなってしまう。 彼らは「現実」のカオスの中で、秩序を求めて賭け続ける。 しかし、その賭けの先には何もない。さらなる混沌がペイバックされるだけなのだ。
ギャンブルはどうしようもない現実である.この現実に触れるだけでなく,操作する(操作するような気分になった)ことを良しとする.
しかし,ギャンブルは所詮ギャンブルである.現実を完全に操作することはできないし,そのカオスを乗り越えてもその先には何もない.
そこで,おもちゃ遊びに至る.おもちゃ遊びとは,子供がおもちゃで遊ぶように無目的に,そして飽きたら突然辞めてしまうような軽やかさをもった遊び方である.服の試着も似たようなものである.
ファッションの哲学者、ローラ・ディ・スマは、たったの一度だけ着るドレスであっても、その瞬間の気分や行動、さらには人生観に影響を与えうると述べている。服を「試着」する行為は、その場限りであっても私たちを違う自分へと導き、その記憶がアイデンティティに痕跡を残す。「ファッションが力強く、楽しいものであるのは、まさにそのエピソード的な性格によるものである」(DiSumma 2022)。
一階の欲求と二階の欲求の話は面白かった
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パズルについて
『パズル学入門 パズルで愛を伝えよう』東田大
志、二〇一一年、岩波書店。
パズル研究の一番初めにおすすめ。
『パズル本能ヒトはなぜ難問に魅かれるのか?』ダネージ、マーセル、二〇〇七年、冨永星
訳、白揚社。
入手困難。パズルの人類学を主導する研究者の著作。いろいろなパズルを分類して紹介しているので、読むとパズルに詳しくなる。