著者
カルロ・ロヴェッリ Private or Broken Links
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カテゴリ
Science
発行日
2019-08-29
読書開始日
2024-04-05
3選
- エントロピーが増大する方向である未来に向けて出来事を予測するよう方向づけられた,この膨大で混沌とした宇宙のなかの少しばかり特殊な片隅に存在する線なのだ.記憶と呼ばれるこの広がりとわたしたちの連続的な予測の課程が組み合わさったとき,わたしたちは時間を時間と感じ,自分を自分だと感じる.どうか考えてみていただきたい.わたしたちが内省する際に,空間や物がないところにいる自分は簡単に想像できたとしても,時間がないところにいる自分を想像することができるものなのかを.
- 時間を研究するうちに,しだいに自分たちから遠ざかっていたはずが,自分自身を巡る事柄を発見することになった.ちょうど,コペルニクスが天体の動きを調べることで,自分の足元の地球がどのように動いているかを理解するに至ったように,けっきょくのところ,時間に対する感情の高ぶりは,時間の本質を客観的に理解するのを妨げる煙幕ではないのかもしれない.おそらく,時間に対する感情の高ぶりこそが,わたしたちにとっての時間なのだろう.
- 死に対する恐れは,進化の手違いのように思える.多くの動物は,捕食者が近づくと,(中略)恐れを感じるのは一瞬で,その恐れが絶えずつきまとうことはない.一方でこれと似た自然淘汰の末に,前頭葉が異常に肥大した大型の猿が生み出され,未来を予測する能力を過剰に持つに至った.これは確かに役に立つ能力だが,その結果わたしたち猿は,避けられない死という見通しと直面することになった.そしてこの見通しが引き金となり,怯えて逃げようとする本能のスイッチが入るのだ.要するにわたしたちが死を恐れるのは,独立した2つの進化の圧力がたまたまぎこちなく干渉し合っているからなのだ.脳が自動的に誤接続するせいで生じた恐怖であって,わたしたちの役にも立たず,意味もない
メモ
本書のタイトルの「時間は存在しない」はもちろん「自然界には」の意味だ.カルロ・ロヴェッリはループ量子重力理論のイタリア人物理学者.ループ量子重力理論とはなんぞや?
アナクシマンドロスは,不変なものは存在せず,継続的に変化する現象や出来事があるのみで,時間は後から付いてくるという考え方をとる.
ループ量子重力理論は,(デモクリトスに発する原子論とは異なり)この系譜に連なる.
1960年代に行われたホイーラーとドウィットの研究に遡る(中略)宇宙全体の振る舞い(膨張を続けている)を扱う量子論を作ろうとしたところ,研究者自身が驚いたことに,時間を含まない方程式が導かれた.量子論的な宇宙は,「時間が経つにつれて膨張する」という形ではなく,宇宙の大きさと物質の状態の相互関係として表されたのである. ホイーラーとドウィットが得た結果は,「基礎的な物理現象を記述するためには時間変数が必須だ」というニュートン以来の考え方に楔を打ち込んだ.ループ量子重力理論は,ホイーラーとドウィットの手法を独自に発展させたものであり,その方程式に時間は含まれない.
時間変数がないのが自然世界のあり方なのだという. 光速の速度は一定なので事象の地平面は次の図のように円錐形になる.
しかし,実際には場所によって乱れたり変形したりしている。そして、また未来に向かいながらも過去に戻ってくることもありうる。
ブラックホールがあると、事象の地平面はブラックホールに傾く。
宇宙の真の姿は重力によりかなり振り回されているようだ.
それでも,私たちは時間を「感じる」.これは何だ.ということになる.
この世界にの根源にあるのは,時間・空間に先立つネットワークであり,そこに時間の流れは存在しない.しかし,人間には,過去から未来に向かう時間の流れが,当たり前の事実のように感じられる.(中略)ロヴェッリは,アウグスティヌスやフッサールの主張を引用しながら,時間が経過するという内的な感覚が,未来によらず過去だけに関わる記憶の時間的非対称性に由来することを指摘する.その上で,記憶とは,中枢神経系におけるシナプス結合の形成と消滅という物質的なプロセスが生み出したものであり,過去の記憶だけが存在するのは,このプロセスがエントロピー増大の法則に従うことの直接的な帰結であると論じる.
記憶というのは所詮脳の中の化学現象で,これもまたエントロピー増大法則に従っているので,作られるにすぎない.未来の記憶が存在しないのはその化学反応が逆に発生しないからに過ぎない,ということみたい.
時間とは自我や主観と「セット」なのだろう.「空間や物がないところにいる自分は簡単に想像できたとしても,時間がないところにいる自分を想像することができ」ないのもそうだ.時間が止まっている/遅くなっているように感じたとしても,それは脳の中の化学反応のプロセスが一時的に遅くなっているにすぎない.あるいは,歳を取ると時間の流れが早く感じるのも,時間が主観の産物だからだろう.
自己,自我の中に時間は存在する.時間が存在するから音楽が聞けるし,人との幸せな記憶や別離がある.時間とは主観的な記憶のことで,感情と切り離すことができない.
Cogito ergo sum 「考える,ゆえに,我あり」は第二歩目で,その前にDubito ergo cogito「疑う,ゆえに,考える」という第一歩目があるはずだ.この時,疑っている対象と分ける「自我」が,対象の変化を「記憶」することで「時間」という錯覚を見せる.
世界には時間や空間に先立って,物のネットワーク,イベントの相互作用による変化だけがあり,それを記憶するから「時間」を感じるのだ.
うん,確かに,時間は存在しない.