著者
濱口桂一郎 Private or Broken Links
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カテゴリ
Middle-aged persons
発行日
2014-05
読書開始日
2024-12-12
3選
- 日本型雇用システムとは、欧州諸国が公的に面倒を見てこざるを得なかったこの部分(養育費、教育費、住宅費といったコスト)を、企業が年功賃金制度の中で対応する仕組みでした。逆に言えば、年功賃金制の下で教育費も住宅費も企業が面倒見ている状況を所与の前提として、現役世代向けの部分が欠落した社会保障システムが十全なものであるかのように維持されてきたということもできます
- こうした流れをマクロ的に振り返ってみると、戦後確立した日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求し、かなりの程度それを実現してしまったために、欧米諸国で同時代的に進んだ福祉国家の形成をかえって阻害してしまった
- 欧米では社会政策の一部と考えられている教育政策や住宅政策が、日本ではもっぱら政治イデオロギー問題や開発業者の利権問題に集約されて論じられる傾向も、子供の教育費や家族を収容する住宅の費用の問題が、それらは賃金でのみまかなわれるべきものという思想によって極小化されてしまったことが背景にあるといえるでしょう。
メモ
リストラの対象といえば中高年だ.社内を見渡しても使えない中高年というのはたくさんおり,若手は総じて優秀である.この中高年をリストラするためのロジックとして,成果主義の導入というのが近年叫ばれているが,年功序列の人事制度改革は古い会社では中高年の反対もあり,なかなか進まない…
読む前はこうした先入観でいたのだが,これを読むと少し見方に幅が出てくる.
まず,年功賃金制の批判は近年に出てきたものではない.
> ・…・労働力が足りないといわれる。・・・・だが、その半面をみれば、管理職クラスが三〇万人あまっているとか、中高年層はいったん離職すれば再就職はきわめて困難であるとか、ホワイトカラーを中心として、相も変わらぬ過剰が中高年層を脅かしているのである。 不足とは、年功賃金制の下で給与の低い、しかし将来の可能性に富む若年労働者と技能者のことであり、過剰とは、職業能力にくらべて相対的に給与の高い中高年層のことであり、最近の技術革新や経営管理の革新のためにはみだされつつある中高年層でもある。 …・・政府が、こんどの国会に提出した雇用対策法案では、・・・・・・それでも現状に比べれば数歩の前進であることは確かである。問題は、各企業が難点として訴えている中高年者の給与をどうするかであろうが、それは、年功賃金の修正と、職種に応じた賃金・・・・・・によって解決を図るほかあるまい。….
これは朝日新聞社説であるが,最近のものではない.1966年 である!半世紀以上前だ.そしてこの後のオイルショック(1970年代)には中高年のリストラがおこなわれた.
他にも,池田勇人内閣での「所得倍増計画」で所得倍増以外にどんなことが書かれていたのかはほとんどの人が知らないのではないだろうか.
その「雇用の近代化」という章には、「労務管理制度も年功序列的な制度から職能に応じた労務管理制度へと進化していくであろう」「労務管理体制の変化は、賃金、雇用の企業別封鎖性をこえて、同一労働同一賃金原則の浸透、労働移動の円滑化をもたらし、労働組合の組織も産業別あるいは地域別のものとなる一つの条件が生まれてくるであろう」と書かれていました。
同一労働同一賃金の浸透,労働移動の円滑化と明言されている.同一労働同一賃金とは職務給のことだが,1960後半には配置転換に対応するために,年功賃金制から職能給への経営者側の切替があった.
賃金が職務によって決まるべきであるならば、配置転換によって移動した労働者の賃金は、転換先の職務によって定まるべきでしょう。しかし、それではどの職務に異動するかによって、労働者間で不公平感が生じます。この不公平感は、配置転換や合理化そのものに対する労働者の反発を高め、実施を困難にします。どの職務に異動しようが、賃金はその労働者のそれまでの経歴の延長線上に位置づけられるという年功制を確保することによって、技術革新に伴う配置転換は容易に実行できたのです
このため配置転換後の職務に応じて給与が決められてしまうようだと,配置転換先で不公平が生じるので,この時労働者側も職務給に反対していたという.
男女雇用機会均等法以前のこの時代で面白いのは,女子若年定年制なるものが広く認められていたことだ.女子の定年は30歳程度に設定され,その根拠としては「女子が結婚せずに又は結婚して勤務を継続するとモラルと生産能率の低下を生ずることになる」となっていたのだ.凄い時代だ…
時は下り,00年代以降の成果主義の導入は,富士通がそうであるように,定期昇給の廃止,バブル期の人件費抑制が目的となった.これはオイルショック時とは様子が異なる.オイルショック時は不況により解雇しなければならなくなったが,00年代の成果主義導入は,バブル期にたくさん採用しすぎたことが原因でリストラをしなければならなくなった.言わば,成果主義はリストラのスケープゴートだった.
話は変わって,諸外国はどうであろうか.諸外国ではよく若者の失業問題が取り沙汰される.大学卒業間もない何のスキルもない学生を企業は雇わず,経験豊富な中高年を好んで雇うという日本とまるで逆の雇用状況が海外にはある.
加えて「セニョリティ」という解雇時にも中高年は優遇される.
解雇自由の原則がなお生きているアメリカでも、労働組合と結んだ労働協約により、きわめて厳格な先住権原則が適用されていますし、欧州諸国では、例えばドイツやスウェーデンなどのように、実定法上で規定している国さえあります。先住権を英語でセニョリティといいますが、その「年功」とは整理解雇時に解雇される順番、正確に言えば解雇されない順番なのです。整理解雇とは、労働者本人には責任のない企業経営上の都合で雇用関係を終了するのですから、解雇されること自体は仕方がないけれども、その順番は公平でなければならない、という発想です。そして、彼らにとって「公平」な順番というのは、後から雇い入れられた者が先に解雇されるということに尽きます。ずっと長く居た者ほど一番最後まで残る権利がある、
厳密には中高年ではないのだが,先に入った人は長く居続けられるということで結果的に中高年となる.中高年に厳しい日本的なレイオフ制度だが,元のアメリカのレイオフは中高年優遇の制度となる. 日本と欧米では本当に状況は真逆なのだ.
こうして,成果主義による解雇が広まった後には中高年の悲壮感は暗澹なるものである.
まことに皮肉なことに、生計費ゆえのかさ上げではなく労働力の価値が高いから高い賃金をもらっているはずだったのに、企業からそれだけの値打ちがないと放擲されてしまった中高年労働者は、本人の能力が低かったからそういう目に遭うのだという形で問題が個人化されてしまい、生計費がかかる中高年労働者の共通の問題としてそれを訴える道筋が奪われてしまうという結果になってしまうのです。
しかし,生計費がかかるのは変わらない.そこで民主党政権は子ども手当などを打ち出した.しかしこれも新しいものではないという.
実はこの方向性は五〇年近く前の国民所得倍増計画で明確に示されてたものであり、それを受けて一九七一年に児童手当が創設されていた。ところがその後「企に家族手当があるのにそんなもの要るのか」という批判の中で細々と縮んでいき、ようやく近になって拡大の方向に転換したところである。半世紀前に提起されていた課題に、今ようくスポットライトが当たり始めたというべきであろう。
こうして,筆者は次のように締めくくる
こうした流れをマクロ的に振り返ってみると、戦後確立した日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求し、かなりの程度それを実現してしまったために、欧米諸国で同時代的に進んだ福祉国家の形成をかえって阻害してしまった 欧米では社会政策の一部と考えられている教育政策や住宅政策が、日本ではもっぱら政治イデオロギー問題や開発業者の利権問題に集約されて論じられる傾向も、子供の教育費や家族を収容する住宅の費用の問題が、それらは賃金でのみまかなわれるべきものという思想によって極小化されてしまったことが背景にあるといえるでしょう。
かつての日本企業の福利厚生が豊かすぎたために,社会政策の福祉が十分に発達しなかったことが日本社会と日本企業の歪みとして現代にもなお残っているのだという.