文明の衝突 - サミュエル・ハンチントン, 鈴木主税

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カテゴリ

Reference

発行日

2017-08-22

読書開始日

2025-06-27

3選

  • 冷戦終結後の世界では、民族紛争が大きな問題となっている。ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦、コソボ自治州における紛争、イスラエルとパレスチナの対立など、異民族間の戦いがあとをたたない。本書の著者サミュエル・ハンチントンは、こうした紛争を異文明間の衝突としてとらえ、冷戦後の世界では、イデオロギーではなく文明のアイデンティティによって統合や分裂のパターンがつくられていると主張する。
  • 人間は自己の利益を追求するうえで、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義づけなければならない。そうした自身の定義づけ、つまりアイデンティティの追求が文明間の紛争につながる。アイデンティティは他者との関係で規定されるものであり、「われわれ」対「彼ら」という構図が、政治の世界にはほぼ普遍的に存在する。現代社会では、「彼ら」が異なる文明に属する人びとをさす傾向が強まっており、冷戦が終わっても対立がなくなるどころか、むしろ文化にもとづく新たなアイデンティティが生まれて文明間の対立が生じているというわけである。
  • 著者は,西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカの八つに分類する。そして、世界に「普遍的な文明」が生まれつつあるという考え方に反論し、西欧のリベラルな民主主義を普遍的なものとするのは西欧の考え方であって、他の文明圏から見ればそれは帝国主義とうつるという。東アジアの経済成長とイスラムの人口急増によって、中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、「儒教ーイスラム・コネクション」を形成して西欧に敵対する。こうして、今後の世界は「西欧対非西欧」という対立の構図になるというのが本書の主張.

    メモ

    国際政治を語るには少し古い本ではあるが,よく言及される本なので一応目を通しておく.

筆者のいう「儒教ーイスラム・コネクション」を見ていこう.

まずは儒教側は中国だ.

中国政府は大陸中国を中国文明の中核国と見なし、他のすべての中国人社会が大陸中国に歩調を合わせるべきだと考えている。海外における中国の利益を、それぞれの地元の共産党を通して促進しようとするのはとっくの昔にやめ、「世界中の中国人の代表として自己を位置づける」ことを、中国政府は目指している。中国政府にとって、中国系の人びとはたとえ他の国の国民であっても中国人社会の一員であり、したがってある程度まで中国政府の権限にしたがうべきなのだ。中国人のアイデンティティは民族的に定義されるようになっている。
中華人民共和国のある学者が言ったように、中国人とは「民族と血筋と文化」が同じ人びとをさすのである。一九九〇年代半ばに、この問題は中国政府や民間人のあいだでますます話題にされるようになってきた。中国人と非中国社会に住む中国系の人びとにとっては「鏡のテスト」が自分が何者かを知る手段になっている。「鏡を見てみろ」という忠告の言葉を、外国社会に同化しようとする同胞にたいして北京志向の中国人は投げかける。外国に住む中国人は華人、つまり中国人の血筋をひく人で、中国に住む中国人とは区別されるが、彼らは「文化的中国」の概念を共識、つまり共通の意識のあらわれとして表現するようになっている

アジア圏で中国の支配は伝統的に大きく,ここに近代になってオーストラリアが入ってきたが,彼らは「アジア」にはなれない.

アジア人が自分たちのクラブからオーストラリアを除外しようと決心している理由は、ヨーロッパ人がトルコ人にたいしてそうしているのと同じで、彼らはわれわれとはちがうということなのである。キーティング首相が好んで口にしたのは、自分はオーストラリアを「アジアのよそ者からアジアの仲間に」変えるということだった。だが、それは矛盾した発言だ。よそ者は仲間にはなれないのである。

この絶対的な東アジアの支配者中国に対して

ロデリック・マクファーカーはこう指摘している。「世界にたいする中国の伝統的な見方は、注意深くつくられた階層主義の社会に関する儒教的な見方の反映にすぎない。外国の君主や国家は中華帝国の進貢国だと見なされていた。『空に二つの太陽はない。地上に二人の皇帝はいない』」。その結果、中国は「安全を多極的に、あるいは多面的に考えることにすら」否定的だった。アジアの人びとは通常、国際関係で「階層制を」進んで受け入れ、東アジアの歴史にはヨーロッパのような覇権を争う戦争は存在しなかった。ヨーロッパの歴史に典型的に見られる機能的な勢力の均衡というシステムは、アジアにとっては異質なものだった。十九世紀の半ばに西欧勢力が登場するまで、東アジアの国際関係は中国を中心として、他の国々は幅の広いレベルでの北京への従属、北京との協力、北京からの自治などでそれをとりかこんでいた。もちろん、世界秩序の儒教的な理想が完全に実現したことはない。だがそれでも、国際政治におけるアジアの階層的権力構造のモデルは、ヨーロッパの勢力均衡のモデルとはまったく対照的である

一方で,イスラム側は少し屈折している.イランがリーダーになる資格があるが,宗教(宗派)の違いのせいで少し屈折している.

面積、資源、人口、軍事力および経済力の面で、ブラジルにはラテンアメリカのリーダーになる資格があり、リーダーになりえたと考えられている。 だがラテンアメリカにたいするブラジルの関係は、イスラム世界にたいするイランの関係と同じだ。他の点では中核国になる資格を充分にもっているのだが、下位文明のちがい(イランの場合は宗教、ブラジルの場合は言語)のために、その役割を担うのが難しいのだ

汎アラブ国家は一度も実現していないが,イスラム教はそれ自体が国家的である.宗教と政治を西洋のように分離することはできないと考えている.

イスラム世界全体で、小さな集団と偉大な倍仰、部族とウンマが忠誠と献身の第一の中心であり、国民国家の重要性はもっと低い。アラブ世界では既存の国家は合法性の問題をかかえている。たいていが気まぐれとは言わないまでもヨーロッパの帝国主義によって独断的につくられたものであり、その境界はしばしばベルベル人やクルド人のような民族グループの境界と一致さえしなかったからだ。こうした国家はアラブ民族を分裂させたが、その一方で汎アラブ国家は一度も実現していない。さらに主権をもつ国民国家という概念は、アッラーの至高性とウンマの権威への倍仰と矛盾する。

そしてイスラム教の最も強い影響力はその人口増加である.

革命的なイスラム主義を奉する人びとは、近代社会によって生み落とされた…・・・・彼ら都市に流入した無数の農民たちによって、イスラム圏の大都市の人口は三倍にふくれあがった

この人口増加は暴力的紛争を間接的に引き起こす.データはイスラム教徒が暴力的紛争に関わりやすい傾向を示す.

テッド・ロバート・ガーが詳細に分析したところでは(表10・1)、一九九三年から九四年に起こった民族政策がからむ五〇の紛争のうち、二六件はイスラム教徒が当事者だった。これらの紛争のうち二〇件は、異なる文明圏の集団のあいだに起こり、そのうち一五件はイスラム教徒と非イスラム教徒のものだった。要するに、イスラム教徒を当事者とした文明間の紛争は、非イスラム教徒の文明間だけの紛争とくらべて三倍になるのだ。

イスラム教徒が暴力的紛争にかかわりやすい傾向は、イスラム社会が武装化されている度合にもあらわれている。一九八〇年代、イスラム教国では軍事力比率(国の人口一〇〇〇人にたいする軍人、兵士の比率)と軍備比率(国家予算にたいする軍事支出の比率)が、他の諸国とくらべてかなり高い。それとは対照的に、キリスト教国は軍事力比率も軍備比率も他の諸国よりきわめて低い。イスラム諸国の平均軍事力比率と軍備比率は、キリスト教諸国のそれのほぼ二倍だった (表10・3)。ジェームズ・ペインの結論によれば、「イスラムと軍国主義の関係は歴然としている」 またイスラム諸国は、国際的な紛争を黒力によって解決しようとする傾向が非常に強く、一九二八年から一九七九年にかけて、自分たちが当事者になった一四八件の紛争のうち、七六件を暴力で解決している。

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この暴力的行為は彼らにとってイスラムの行動基準としてのジハードに参画するという宗教的意味があり,彼らにとって暴力が必ずしも否定的意味合いを持たない.

ソ連軍と戦った人びとにとっては、アフガン戦争には別の意味があった。西欧のある研究者が述べているが、それは「民族主義や社会主義の基準ではなく」、イスラムの行動基準にのっとっての、外国勢力にたいして成功した初めての抵抗だった。それはジハード(聖戦)として戦われ、イスラムの自肩と勢力が飛躍的に高まることになった。この戦争がイスラム世界に与えた衝撃は、一九〇五年に日本がロシアに勝ったときに東洋世界に与えた衝撃にも劣らぬものだった。西欧は自由世界の勝利と思ったのだが、イスラム教徒はイスラムの勝利だと考えたのである。


非西洋諸国の人々,すなわち儒教・イスラムの人々は,総じて西欧に対して異なる「文明」を感じ,彼らの行動基準に異を唱える.彼らの「普遍性」は他の地域の人々に「帝国主義」と映る.

非西欧諸国の人びとは、西欧には原則と実際の行動のあいだにギャップがあるとかねてから指摘している。偽善、ダブル・スタンダード、「例外」が、普遍論者の主張の裏にあるというのだ。民主主義を広めようとするが、それでいてイスラムの原理主義者が権力を握りそうになると民主主義にはこだわらない。イランやイラクには核兵器の不拡散を要求するが、イスラエルにはそれを求めない。自由貿易が経済成長に最も重要だと言うが、農業にはそれを適用しない。人権問題は中国とのあいだでは重要な問題だが、サウジアラビアとのあいだでは問題にされない。産油国のクウェートにたいする侵略には強烈な反撃を加えたが、非産油国のボスニアにたいする攻撃には手をこまねいたままだ。主義主張を世界共通の標準として唱えようとすると、実際にはダブル・スタンダードをとらざるをえない。

他の文明の一部の人びとは、この価値観を受け入れ、広めようとするが、非西欧文化圏の大多数の人びとの見方は懐疑的で、これに激しく抵抗する者も多い。西欧人には普遍的と映るものが、他の文化圏の人びとには帝国主義と思えるのだ。

西欧諸国とアジアーイスラム・ブロックでは大きな意見の相違があった。ウィーン会議の二カ月前、アジア諸国はバンコクで会議を開いて声明を採択したが、これは次の点を強調していた。すなわち、人権問題は「国家と地域の特殊性や、さまざまな歴史的、宗教的、文化的背景を考慮に入れて検討されるべきであり」、人権擁護を監視することは国家の主権をおかし、さらに経済援助を人権問題の状況とからめるのは国の発展する権利にそむくものだと言ったことである。これらの問題やその他の問題についての意見は大きく分かれ、五月初めにジュネーブで開かれたウィーン会議の最終準備会議では、採択された文書のほとんどは括弧でくくられており、一カ国ないし複数の国が反対したことを示している。

現代の西欧のリーダーは言うまでもなくアメリカだが,アメリカは第二次大戦の勝利の後積極的に世界中の戦争に関わってきた.東アジアも例外ではない.

第一に、アジア社会とアメリカのあいだで相互の交流が深まった。そのため、通信、貿易、投資の機会が増えて、相手に関する知識が深まり、利害が相反したり、実際に相反する問題が倍加するようになった。相互交流が増えるにつれ、それぞれの社会の慣行や信念が、遠くで見ていれば無害でただ珍しいと思われるだけだったのが、実際にはそれぞれの社会への脅威になった。第二に、ソ連の脅威のために、一九五〇年代に日米安全保障条約が結ばれた。 一九七〇年代にソ連の軍事力が増大したため、一九七九年にアメリカと中国の国交が正常化して、ソ連の脅威を緩和させようという共通の利益をはかろうと、その場しのぎの協力体制が生まれた。冷戦の終結により、アメリカとアジアの強国のあいだの決定的な共通の利害は消え、そのあとにはかわりになるものが何も残らなかった。その結果、前からあった大きな利害の相違点が表面化してきた。第三に、東アジア諸国の経済が成長したために、東アジア全体とアメリカの力関係が変わってきた。いままで見てきたように、アジアの人びとは自分たちの価値観や制度にだんだん自信を強め、西欧の文化よりも自分たちの文化のほうがレベルが高いと居じるようになった。それにたいしてアメリカは、とくに冷戦に勝ったあとは、 自分たちの価値観と制度は普遍的であり、アジア社会の外交政策や内政を思いどおりにできる力がまだあると信じる傾向が強かった

第二に、アメリカは繰り返しアジア諸国と相互援助の道を追求した。譲歩すれば、同じような譲歩をアジア側から受けられると期待したのだ。この方法は、アジア諸国とのあいだに「建設的な関係」や「対話」を維持する必要性に関して、成功することも多かった。しかし、それよりも多くの場合、アジア諸国はアメリカの譲歩をその弱みのあらわれとしてとらえ、さらにアメリカの要求を拒否できると考えた。このパターンはとくに中国によく見られ、アメリカが最恵国待遇を切り離すと、新しく広範な人権侵害をはじめた。アメリカには「よいレ関係と「友好的な」関係を同一視する傾向があるために、「よい」関係を自分たちに勝利をもたらす関係と同一視するアジア社会に対抗するうえで、アメリカはかなり不利な立場になる。アジアの人びとにとって、アメリカの譲歩は、お返しをするべきものでなく、利用すべきものなのだ

国と国との関係に関して、少なくともアメリカには、言葉の定義に混乱があることに留意せねばならない。「よい」関係とは友好的で、協力的な関係である。「悪い」関係とは悪意のある敵対的な関係である。この使いかたはまったくちがった次元の概念を一緒にしている。友好対悪意と望ましいこと対望ましくないことの二つだ。このことは、国際関係において調和はつねによく対立はつねに悪いという、アメリカ固有の考え方をあらわしている。しかし、よい関係と友好的な関係を同じと考えるのは対立が絶対に望ましくないときだけ正しい。ほとんどのアメリカ人は、ブッシュ政権がクウェートに関してイラクとの関係を「悪く」したのは「よかった」と考えている。 「よい」というのが望ましいという意味か、調和的だという意味か、そして「悪い」というのが望ましくないという意味か悪意あるという意味かの混乱を避けるために、筆者は「よい」と「悪い」を望ましいと望ましくないという意味だけで使うつもりだ。 アメリカの社会で、意見、集団、党派、政府機関、事業などで競争があるほうがよいとアメリカ人が考えているのは、ややこしいが興味のあることだ。自分たちの社会では競争がよいのに、国際社会のあいだでの競争は悪いとアメリカ人が考えるのはなぜだろう?興味ある疑問だが、筆者の知るかぎり、このことを本気で考えた人はいない

アメリカにとって東アジアで最も存在感の大きなパートナーは日本である.日本の外交戦略は実は一貫している.それは「バンドワゴニング」(長いものに巻かれる)的性格である.

彼らのバンドワゴニング的傾向を、マイケル・オクセンバーグは少ない言葉で巧みに表現している。「アジアの指導者たちは勢力の均衡が中国側に傾くのを懸念しているが、将来が不安なため、いまの時点で北京との対立を避けており、反中国運動でアメリカ側につこうとはしないだろう」中国の台頭は日本にとっては大きな難題で、日本はどちらの戦略をとるべきか、意見が大きく割れている。なんらかの交換条件、たとえば中国の政治的・軍事的優位を認めるかわりに、経済問題での日本の優位を認めさせるなどして、中国に順応しようとするべきだろうか?あるいは日米同盟に新しい意味と活力を与えて、中国と均衡を保ち、封じ込めるための提携の核となるべきか?中国からなんらかの侵略があった場合にそなえて、自国の軍備拡張を試みるべきか?おそらく日本は、この問題にたいするはっきりした結論をできるだけ先おくりするだろう。

一九三〇年代と四〇年代に、日本は東アジアを征服するという一方的な政策を追求して、壊滅的な結果を招いたが、この時代をのぞいては日本は歴史的にも、自国が適切と考える強国と同盟して安全を守ってきた。一九三〇年代に枢軸に参加したときでさえ、日本は当時の世界政治のなかで最も強力な軍事志向をもつ勢力と考えた相手と提携したのである。二十世紀の初めに日英同盟を結んだが、当時の世界情勢でイギリスが指導的国家だということをよく認識していたのだ。一九五〇年代になると、同じように世界で最も強大で、日本の安全を守ってくれる大国であるアメリカと日本は提携した。中国と同じように日本も、国内政治が階層的なので国際政治の問題も階層的なものと考える。日本のある著名な学者は以下のように述べている。 日本人が国際社会における日本の立場を考えるとき、日本の国内モデルから類推することが多い。日本人は国際秩序を、日本の社会の内部では明らかな、縦の組織形態の関連で特徴づけられる文化の形態を外部に示すことだと考える。国際秩序をこのように見るのは、長きにわたった前近代の日中関係(進貢システム)で得た経験によるところが多い。 このように日本の同盟にたいする感覚は「基本的にはバンドワゴニングであって、バランシング」ではなく、「最強国との提携」だった。


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フォルトライン(文明の断層線)では,どのように戦争が発生し,継続するのか.

著者は,フォルトライン戦争の構図を図のように模式化する.いわゆる代理戦争という形でよく知られた構図だが,ある地域での紛争A1とB1は,その周辺国のA2, B2によって支援され,そしてそれもまた文明Aと文明Bの親玉,中核国となるA3, B3のような国に支援される.

その結果,A1, B1の当事者らが疲弊するまでフォルトラインの戦争は続く.

では,どうすればフォルトラインの戦争を終わらせることができるのか.著者は次のように言う

  • 第二次、第三次レベルの当事者が積極的に介入すること。
  • 戦闘を停止させるために、第三次レベルの当事者がより広い観点に立って交渉すること。
  • 第三次レベルの当事者が、飴と鞭を使って第二次レベルの当事者にこれらの条件をのませ、第一次レベルの当事者にこれを受け入れるよう圧力をかけさせること。
  • 第二次レベルの当事者が、第一次レベルの当事者への支援を撤回する。つまり、事実上裏切ること
  • この圧力の結果、第一次レベルの当事者がこれらの条件を受け入れること。もちろん、そのほうが自分の利益になると思ったときには撤回するだろう

第一次レベルの当事者だけではフォルト・ライン戦争を終わらせることができない。戦争を終結させたり、世界的な戦争に拡大するのを防いだりするためには、世界の主要文明圏の中核国に頼らざるをえない。フォルト・ライン戦争は下から浮かび上がってくるが、フォルト・ラインの平和は上からおりてくるのである。

一番難しいのは「第二次レベルの当事者が、第一次レベルの当事者への支援を撤回する。つまり、事実上裏切ること。」ではないだろうか.

一般に,戦争は金になる.だから第三次レベルの両者は戦争を継続させたがるインセンティブが働く.しかし,これを裏切ることで,つまり金よりも命を取ることで平和が得られるのである.

紛争にはメカニズムがあり,それを解明することで「普遍的な」平和の方策を取れるかどうか.そしてそれに国際的な協力を取り付けることができるかどうか.こうしたことが平和への鍵となっている.