著者
中室牧子 Private or Broken Links
The page you're looking for is either not available or private!
カテゴリ
Family & Relationships
発行日
2024-06-29
読書開始日
2025-01-26
3選
- 2001年にブッシュ政権下で成立した「落ちこぼれ防止法 (No Child Left Behind Act) 」, この法律の中で、実に111回も用いられている象徴的な言葉があります。それが「科学的な根拠に基づく」というフレーズです。この法律によって米国の教育政策は大きく舵を切ることを余儀なくされました。次いで、2002年に「教育科学改革法(Education Science Reform Act)」が制定されたことによって、自治体や教育委員会が国の予算をつけてもらうためには、自分たちの行っている教育政策にどれくらいの効果があるのかという科学的根拠を示さなければならなくなりました。このため米国では、自治体や教育委員会が、自ら積極的に教育政策の効果を科学的に検証し、そこから得られた知見が、自治体や国など全体の政策に反映されるようになっています。これを、「科学的根拠に基づく教育政策」または「エビデンスベーストポリシー」といいます。
- 人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき.幼児教育への財政支出は、社会全体でみても割のよい投資
- 非認知能力は将来の年収、学歴や就業形態などの労働市場における成果に大きく影響する.学校は、学力に加えて、非認知能力を培う場でもある
メモ
この本はやばい.教育経済学という,言わば教育を投資とみなした時,どうすれば少ない投資で大きなリターンが得られるか,ということに切り込んだ本.
しかし,その方法論は科学的で,言わば教育政策の政策決定にも用いられうる合理的な科学だ.特に,アメリカでは2001年からそうした教育政策を決定づける法律「落ちこぼれ防止法 (No Child Left Behind Act) 」,そして2002年には「教育科学改革法(Education Science Reform Act)」があったというのだから驚きだ.日本の教育政策の批判もこの本にはある.
勉強にご褒美をあげてもよいか,という議論については
学力テストの結果がよくなったのは、インプットにご褒美を与えられた子どもたちだったのです。 とくに、数あるインプットの中でも、本を読むことにご美を与えられた子どもたちの学力の上昇は顕著でした。一方で、アウトプットにご美を与えられた子どもたちの学力は、意外にも、まったく改善しませんでした。どちらの場合も、子どもたちは同じように喜び、ご褒美を獲得しようとやる気をみせたにもかかわらず。
ご褒美は「テストの点数」などのアウトプットではなく、「本を読む」「宿題をする」などのインプットに与えるべき 子どもをほめるときには、もともとの能力でなく、具体的に達成した内容を挙げることが重要
と明確に答えが出ていることのようだ.確かモンテッソーリ教育が同様にインプットに対する褒め方や能力の延ばし方をしていた気がする.
ご褒美には何が良いのか,ということに対しても
トロフィーといってもたいしたものではなく、約400円という安物でした。しかし、小学生に対しては400円のお金よりも、同額のトロフィーのほうが大きな効果があったことがわかっています。この実験からもわかるように、子どもが小さいうちは、トロフィーのように、子どものやる気を刺激するような、お金以外のご美を与えるのがよいでしょう。一方、同じ実験の中で、中高生以上にはやはりトロフィーよりもお金が効果的だったこともわかっています。
としっかり回答している.そして,ご褒美を与える時期に対しても
アウトプットではなくインプットに、遠い将来ではなく近い将来にご美を与えるのが効果的 「1時間勉強したら、勉強が終わった後にお小遣いをあげるよ」
と具体的なものをあげている.
テレビやゲームの学習時間の影響についても本書は明確に回答している.
そもそも
1時間テレビやゲームをやめさせたとしても、男子は最大1.86分、女子は最大2.70分、学習時間が増加するにすぎない
という結果を出して(代わりに同じ時間ゴロゴロするだけだという),テレビやゲームの禁止が学習時間の増加に結びつかないことを明確にし
1日1時間までならテレビもゲームも問題ない。2時間以上だと、学習時間などへの負の影響が大きくなる
と具体的な基準を設けている.
子どもの学習時間を増やすにはどうするべきか,という問いにも,まずは家族が手をかけることを薦めている.
家庭での学習へのかかわり方は母親に比べて低い父親ですが、世の中のお父さんたちは決して自分の役割を侮ってはいけません。なぜなら、子どもと同性の親のかかわりの効果は高く、とくに男の子にとって父親が果たす役割は重要だからです。 最近の研究でも、とくに苦手教科の克服には、同性同士の教師と生徒の組み合わせのほうが有効であるなど、類似の知見が得られているものがあります
しかし,現実的にはそんな暇な親ばかりではない.そんな声にも
すべてを親が抱え込む必要はありません。困ったときは、学校や塾、家庭教師の先生なども含む身近な人に頼ってよいのではないかと、私は思います。 子どもの学習時間を増やすには手間暇がかかるが、親以外の親族、先生などの助けを借りてもよい
という回答を出しており,救いとなっている.
次に学級運営など教育現場に対する処方箋だが,まず前提として学生は周囲からどのように学力の影響を受けるのかという点について次のように結論付けている.
平均的な学力の高い友だちの中にいると、自分の学力にもプラスの影響がある
私は中高一貫校に通っていたのだが,中学から高校には殆どが持ち上がりだが,高校の時若干名外部から新入生が入学してきた.彼らは非常に難しい編入試験を通過しただけあって学力は高かった.私はそのうちの一人とよくつるむようになり,勉強方法など非常に良い影響を受けたという個人的な体験がある.
筆者は一方で次のような事実も紹介している.
学習が優秀な子どもに影響を受けるのは、上位層だけ。「学力の高い友だちといさえすればよい」は間違い スウェーデンの高校生のデータを用いた研究は、学力の高い同級生の存在が、学力の低い生徒の自信を喪失させ、大学への進学意欲を失わせたことを明らかにしました。この意味では、学力の高い友だちと一緒にいさえすれば、自分の子どもにもプラスの影響があるだろうと考えるのは間違っています。むしろ、レベルの高すぎるグループに子どもを無理に入れることは、逆効果になる可能性すらあるのです。
自分とレベルが違いすぎたら意欲をなくすというのは非常に分かる.まあ,その「意欲」すらも非認知能力なので,非認知能力が高ければその「レベルの違い」の閾値が広いような気がする.
そして学級運営に関してだが,この「意欲」を削がないためにも習熟度別学級が良いらしい.
習熟度別学級がとくに大きな効果をもたらしたのは、もともと学力が低かった子どもたち
子ども同士も、自分と同程度の学力の子どもたちと一緒になることで、他者と比較して意欲を失うことなく、互いに助け合うことができるためだと考えられます。また、同じ学級に同程度の学力の子どもを集めることによって、教員のほうも、子どもたちの理解度やペースに合わせた指導が可能になるのでしょう。 しかし、習熟度別学級の導入を考えるうえでは、注意が必要なこともあります。国単位のデータを用いたスタンフォード大学のハヌシェク教授の研究では、子どもの学齢が低い時に習熟度別学級を実施すると、格差が拡大し、平均的な学力も下がってしまうと指摘されています。習熟度別学級が、正のピア・エフェクトを持つと同時に、子どもたちの学力格差を拡大させることがないかという点には、慎重な検討が必要とされるでしょう
導入する際の学生の年齢が大事らしい.
個人的には,私は習熟度別学級の経験は中学受験塾であった.そこには小学校4年生(10歳)ぐらいから通っていたと思う.その塾では定期的な試験,確か年4回ぐらい?でクラス分けがされて,志望校に行けるとされるクラスとその一つ下のクラスを行ったり来たりしていた.というか滞在時間としては下のクラスが多かったように思う.習熟度別学級は記憶が正しければ5年生までで,6年生ではクラスが固定された.6年生でクラスを分けていては志望校試験対策と軸がぶれてしまうからだろう.
余談だが,私は5年生最後の試験でなんとか上のクラスに入れ,結果的に志望校に行けた.そして志望校の蓋を開けてみれば一つ下のクラスの人間も何人もいた.
いよいよ,教育経済学の経済学っぽい一面を紹介する.
文部科学省の調査によると、家計が大学卒業までに負担する平均的な教育費は、幼稚園から大学まですべて国公立の場合でも約1000万円、すべて私立の場合では約2300万円に上ります。日本政策金融公庫の調査では、子どもがいる家庭は、なんと年収の約40%をも教育費に使っているそうです。
これは学校だけなので,塾や習い事をさせればもっとお金がかかる.一般に,高校,大学と進学するにつれて教育費がかかっていく. そうすると子どもが小さいときは投資を少なくして貯金・積立しておき,大きくなってからそれを使えば良いという発想になるし,実際にそうしている家庭も多いと思われる.
本書はこの方針に明確にNOを突きつける.
人的資本への投資はとにかく子どもが小さいうちに行うべき 幼児教育への財政支出は、社会全体でみても割のよい投資
この根拠とするのが,本書で何度も出てくるヘックマン教授の研究で,ここでは「ベリー幼稚園プログラム」に関する効果をあげる.
ベリー幼稚園プログラムとは,幼児教育に贅沢な先生と指導を行った教育プログラムで,内容は
- 幼稚園の先生は、修士号以上の学位を持つ児童心理学等の専門家に限定
- 子ども6人を先生1人が担当するという少人数制
- 午前中に約2.5時間の読み書きや歌などのレッスンを週に5日、2年間受講
- 1週間につき1.5時間の家庭訪問
このプログラムの内容を見ると,児童に対する指導だけでなく,家庭訪問という親に対する指導も行われていることに気づく. このベリー幼稚園プログラムを受けた児童を追跡調査すると,SATのテストスコアや40代の持ち家率などが,そうでない群と比べて圧倒的であったという.
本書のメインテーマである「非認知能力」について切り込んでいく.
まず,非認知能力の定義から.
これらの能力は「認知能力」(=テストで測れるような能力)とは異なる.しかし,この非認知能力こそが人生で大事なのだと言う.
非認知能力は将来の年収、学歴や就業形態などの労働市場における成果に大きく影響する
それだけでなく,もはや学校の役割をこう断言する
学校は、学力に加えて、非認知能力を培う場でもある
この理由として,
中退することなくきちんと大学を卒業できていたのは、SATの成績がよかった学生ではなく、出身高校のレベルにかかわらず通知表の成績がよかった学生だったことが判明しました。 高校でよい成績を取る過程で獲得した非認知能力(まじめ、先生との関係がよい、計画性がある、やり抜く力がある、など)は、高校を卒業した後も、彼らを成功に導いてくれたのです。 どんなに勉強ができても、自己管理ができず、やる気がなくて、まじめさに欠け、コミュニケーション能力が低い人が社会で活躍できるはずはありません。一歩学校の外へ出たら、学力以外の能力が圧倒的に大切だというのは、多くの人が実感されているところではないでしょうか。
最終文は社会に出るとよく聞く言説である.「あいつは〇大を出ているのに仕事はイマイチだ」といった風に.使う能力が違うのだから,そんなものは当たり前だというのがその理由だ.
非認知能力の中でも,自制心は重要だ.マシュマロ実験を紹介する
「マシュマロ実験」と呼ばれる有名な研究があります。コロンビア大学の心理学者であるミシェル教授は、当時勤務していたスタンフォード大学内の保育園で、186人の4歳児の自制心を次のような方法で計測しました。 まず、子どもにマシュマロを差し出します。次に、「いつ食べてもいいけれども、大人が部屋に戻ってくるまで我慢できればマシュマロを2つ食べられますよ」とだけ伝えて、大人は部屋を退出します(この時点で大人がいつ部屋に戻ってくるかは、子どもにはわかりません)。そして、部屋を出て15分後、大人が戻ってきます。 この結果、186人のうち約3分の1は15分間我慢して2つのマシュマロを手に入れることができましたが、残りの3分の2は我慢できずにマシュマロを食べてしまっていました。 その後ミシェル教授は、彼らの人生を追跡して調査を行いました。その結果、彼らが高校生になったときにはかなりの差が生じていることが判明します。 大人が戻ってくるまで我慢して2つのマシュマロを手に入れた子どもは、我慢できずに食べてしまった子どもよりも、SATのスコアがずっと高かったのです。
4歳時点のたった15分我慢できる・できないが,将来にこんなに影響するとは驚きだ.
個人的な体験を記す.小学校時代,通学に電車を使っていたので,いつも学校から家に帰る時,駅から家が距離があるので母親に車に迎えに来てもらっていた.問題は,両親は共働きだったので,母親は全くもって時間を守らず,毎日2時間ぐらい駅で迎えが来ることを待っていた. 正直,2時間もあれば余裕で駅から家まで歩いて帰れるのだが,家に一人帰ってもすることもないし(特にご飯),なんとなく街の人を見ながら待っていた. あの経験は,完全に副次的だが,間違いなく忍耐力とか,あとは冬なら寒さに耐える力をつけたとおもう.まあ鶏卵で逆に忍耐力があったから,あのようなことにも耐えられたのかもしれないが
次は,勤勉性についてだ.勤勉性というのは,しつけで親から子に与えられるものらしい.
しつけは勤勉性という非認知能力を培う重要なプロセス
神戸大学の西村教授らは、「しつけ」という違った角度から研究を行いました。4つの基本的なモラル(ウソをついてはいけない、他人に親切にする、ルールを守る、勉強をする)をしつけの一環として親から教わった人は、それらをまったく教わらなかった人と比較すると、年収が86万円高いということを明らかにしています
本書は教育政策に対する批判もしているのが素晴らしい.日米の教育政策を比較して,アメリカは科学的,合理的な政策で言わば現役の学生を使って教育経済学の「実験」をしているのだが,日本はそういった「エビデンスベースドポリシー」が浸透していないという.
日本の教育政策で見られるのは「手段の目的化」であると著者は断言する.例えば,
「2020年までにすべての小中学校の生徒1人に1台のタブレット端末を配布する」は手段の目的化 日本では、「2020年までにすべての小中学校の生徒1人に1台のタブレット端末を配布する」という政策目標が掲げられたことからも明らかなように、本来、政策目的ではなく「手段」であるはずのものが政策目的化してしまっています。重要なのは「タブレットを配布すること」ではなく、「何のために配布するのか」でしょう。この状況は効率的な資源配分を歪めている可能性があります。タブレットよりも、他のことに予算を使ったほうが子どもの学力や意欲の向上がみられるということも、十分にあり得るからです。
教育政策の決定と言っても,「教員の評価」はどうしたら良いのだろうか.次のようなことが知られている.
テキサス大学のハマーメッシュ教授らは授業評価にかんする研究の中で「美人の先生ほど授業評価が高かった」という身も蓋もないような結果を明らかにしています
成果主義が教員の質の改善につながらない理由は、実のところよくわかっていません。今のところ、公立学校の数員は裁量の余地が少なく、成果主義が導入されたとしても教員個人にできることが限られていて、成果主義が努力する誘因を持たないのではないかというのが有力な仮説です。
教員の評価に関しては,かなり難しい問題らしい.
しかし,著者はものすごいことを提案している.それは「教員になるための参入障壁をなるべく低くする、つまり教員免許制度をなくしてしまう」ということだ.
なるべく能力の高い人に教員になってもらうにはどうしたらいいのでしょうか。経済学者に聞けば真っ先に提案されるであろうシンプルな方法は、教員になるための参入障壁をなるべく低くする、つまり教員免許制度をなくしてしまうということです。 なぜなら、免許という参入障壁が、能力の高い人が教員になったり、あるいは他の職業で活躍してきた人が教員に転職したりするのを妨げている可能性があるからです。
学習塾や予備校の先生になるのに教員免許は必要ではありませんが、優れた方は数多くおられます。また、海外にはそもそも教員免許そのものが存在していない国や地域も多くあります。「教員になるためには教員免許が必要だ」という前提は、私たちが思っているほどに当たり前ではないのです。 これまでの海外における研究蓄積をみる限り、「給与を上げる」「研修を受けさせる」「免許制度を撤廃する」という3つの選択肢の中では、教員免許制度を変更し、能力の高い人が教員になることの参入障壁を低くすることが有力な政策オプションなのではないかと、私は思っています。
これらの事実を元に
教員免許の存在は教員の質を担保しているわけではない
と結論付けている.
本書は,教育政策を科学的に分析した結果をたくさん紹介することで,科学的に効果のある教育政策を明らかにしている.
この「科学的」ということについても本書は丁寧に解説している.ここで言う科学的とは主に,ランダム化比較試験(RCT)で研究対象者をランダムにグループ分けして、介入の効果を検証する研究手法の事を指す.
これは科学,特に薬の治験や,近年だと2019年に貧困緩和政策の検証にRCTを利用したことでノーベル経済学賞が授与されたことなどでよく使われる手法であるが,これを教育現場に適用しているのが教育経済学だ.
RCTの実力は広く知られているところであるが,一方で批判もある.RCTの問題点としては
ある国におけるランダム化比較試験の結果が、他の国で当てはまるかどうかわからないという「外部妥当性の問題」が存在します。さらに、小規模のランダム化比較試験で効果が確認された政策介入を、もつと多くの人々に拡張したら、効果が薄れてしまうという「一般均衡効果」が生じる可能性があることも記事中では指摘されています。 ランダム化比較試験の持つもうひとつの問題に、ある政策介入のもたらす因果効果がわかったとしても、「なぜそうなったのか」というメカニズムがよくわからないことが挙げられます。このメカニズムのことを経済学の用語で「内部構造」といいます
とはいえ,RCTは教育経済学において最大の武器であるし,効果を測定,検証しないということにはならないだろう.
「世界には、専門家ですらも驚愕するようなことがしばしば起こりうる。ある政策介入が、人々の生活に大きな影響を及ぼすと考えられるときに、ランダム化比較試験を行うよりも非倫理的な行動があるとすれば、それはランダム化比較試験を行わないという選択をするということなのではないか」(フィナンシャル・タイムズ、2014年4月25日)。
そういえば小学校1年生の時,終わりの会(1日の全授業が終わった後に開催される担任の先生によるクラス会)で,今日一日何か良いこと(例えば友達を助けた)とかを自己申告ではなく,クラスメート誰かの申告で報告する時間があった.そして,それでいいことをした人には「お褒めカード」というのを担任の先生からもらえるシステムだった.
本書を読み終わった今,あれはかなり良い効果だったのではないだろうか,と思う.
非認知能力(後述)の観点からすると,「誰かが良いことをしたということをクラス全員の前で報告する」という自主性(意欲,社会性)があるし,「ご褒美」としてのトロフィーとしてはほぼ原価0円だが,幼児教育にはそれで良いということが触れられていた.
本書は教育投資というのは親だけでなく学校,自治体など周囲の大人全員で取り組んでいくものなのだとわかったし,育児の際には取り込んでいきたいことばかり書かれており,非常に有用だった.