世界一シンプルな進化論講義 生命・ヒト・生物――進化をめぐる6つの問い - 更科功

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著者

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カテゴリ

Science

発行日

2025-01-23

読書開始日

2025-04-12

3選

  • 後天的に生殖細胞が獲得した形質は遺伝する
  • 20世紀の半ばごろまでは、生物の寿命についての仮説として、生命活動速度論の人気が高かった。生命活動速度論は、「同じ重さで比べると一生のあいだに使うエネルギー量はどの種でも同じである」とか「一生のあいだに心臓が拍動する回数はどの種でも同じである」などと表現されることが多い。ゾウはネズミより長生きだが、その分心臓がゆっくり打つので、一生のあいだに心臓が打つ回数はだいたい同じであるというわけだ.生命活動速度論の人気が高かったころには、「怠け者のほうが長生きする」とか「女性は男性より肉体労働をすることが少ないので長生きする」などの珍説が流布したが、もちろんこれらの説には根拠がない。21世紀になり、大量のデータを使って統計的な研究がなされるようになって、生命活動速度論は否定されてしまった。
  • 意識が進化の過程で生じてきたことはほぼ間違いないが、意識にどういうメリットがあるのかは、よくわかっていない。「生きる」という目的のために「意識」という手段が進化するためには、「意識」に何らかのメリットがなければならないが、そのメリットがどうもよくわからないのだ。「柔軟な学習や行動を可能にする」など、いろいろなメリットが提案されてはいるが、決定的なものはないように思える。しかし、メリットとは別に、決定的なことが一つある。それは、「意識」には、自己保存に対する強烈な欲求があることだ。私たちにしても、生きたいと思うのは「生物学的に生きたい」のではなく「意識を存続させたい」からではないだろうか。「生物学的に生きる」ためには、必ずしも脳はいらない。脳が死んでも、心臓が動いていれば、生物学的には生きていることになる。でも、それは私たちの願いではないはずだ。むしろ、体は滅んでも、魂のようなものになって「意識を存続させたい」と願うのではないだろうか。もしかしたら、意識のメリットがよくわからない理由は、意識を手段と考えたからかもしれない。「生きる」という「目的」のために「意識」という「手段」が進化したのではなく、「意識」 も「生きる」と同様に「目的」なのかもしれない。そうであれば、意識は、脳が一定の構造を持つと不可避的に生じてしまう可能性が高い。「生きる」ための手段としてではなく、つまり「生きる」ために有利とか不利とかに関係なく生じるためには、そう考えるのが自然だろう。その結果、宇宙の知的生命体が精密なシミュレーションを行うと、その住民にも不可避的に意識が生まれてしまうかもしれないのだ。

    メモ

    本書は進化論に関する様々な疑問にシンプルに解説する.個人的に学びとなったものをいくつか引用して備忘録としておこう.

後天的に生殖細胞が獲得した形質は遺伝する

これは言われてみれば当たり前なのだが,細胞を生殖細胞と体細胞とに分類する.体細胞はその個体を形成する細胞で子孫に継承されないもの,生殖細胞は子孫に継承されるもので例えば精子や卵子,としたとき,その個体の先天的な形質は遺伝情報から体細胞に発現するし,もちろん生殖細胞に引き継がれていく.これは良い.

後天的に獲得した形質は引き継がれないのか,というと半分noで半分yesだ.体細胞はその個体を形成するので,そこで獲得した形質は引き継がれない.一方で生殖細胞が後天的に獲得した形質は遺伝する.

とまあ当たり前の話なのだが,生殖細胞が後天的に獲得する形質って何怖い.

これは例えば父親のBMIが遺伝するなどが知られている.それも「着床(=妊娠)時のBMI」だ.

子供を作る時は痩せている時の方が良いだろう

じつは昔から、鳥類の祖先には、翼が4枚あっただろうという意見があった。これは1915年にアメリカの生態学者、ウィリアム・ビービが示した考えで、ハトの脚に羽毛が生えているのを見て、閃いたらしい。実際、ハトには脚に羽毛が生えているものがけっこういて、それほど珍しい現象ではない。ビービは、翼が4枚ある想像上の鳥類の祖先に、テトラプテリクスという名前までつけていた。 そして、ミクロラプトルには、ビービの予測通りに、4枚の翼があったのである。ミクロラプトルは、後肢に翼がついているので、地上を走り回る生活には適していなかった。また、ミクロラプトルの肢の心は、強くが曲しており、木登りには適応していた。さらに、翼と体の挨部は強度が弱く、長距離の飛行で体重を支えることは難しかった。

翼の進化を紐解く章は面白い.鳥類の祖先は恐竜であることは間違いないが,どうして恐竜に翼が生えたのかに関して,著者はこの図のような説を紹介する.余談としての翼が4枚あった翼竜ミクロラプトルの発見の話も面白い

北米東南部から中南米にかけて、ハキリアリというアリが棲んでいる。ハキリアリは名前のとおり、葉を切るアリだ。どうして葉を切るのかというと、切った葉を使って農業をするのである。ハキリアリの農業が進化したのはおよそ5000万年前と考えられるので、人間の農業よりもはるかに古い。ハキリアリは葉を切って巣に運ぶ。葉を運ぶ道は決まっていて、ある種のハキリアリでは平らにならされた道が100メートルも延びているらしい。葉を運ぶハキリアリとは別に、小型働きアリと呼ばれるハキリアリが道の脇をパトロールしていて、さらに巣は兵隊アリがしっかりと守っている。警備された安全な道を、しかも平らにならされた歩きやすい道を使って葉を運ぶので、とても効率がよい。たいてい葉のほうがハキリアリより大きいので、まるでたくさんの葉が自分で地面を歩いていくように見える

農業をするアリがあるなんて知らなかった!アリの巣のコロニーの中でキノコを栽培するらしい.また,そうした閉環境であれば病原菌の蔓延が心配されるが,アリ達は病原菌を殺しすぎて耐性菌を作らないように微妙に制御しながら,こうした病原菌を殺す作用をばらまいているらしい.凄すぎるな…

アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基が含まれており、その塩基の並び方、つまり塩基配列が遺伝情報になっている。この塩基配列が、人間とチンパンジーで98.7パーセント一致しているわけだ。

ところで、人間では、血縁関係にない赤の他人同士の塩基配列の一致度は(かなり多様性があるけれど) 99.9パーセントぐらいだったりする。その場合、たとえば血縁度が2分の1の父親と子の塩基配列はどのくらい一致しているのだろうか。

子から見て、父親との血縁度が2分の1ということは、子のAの2分の1は父親から直接伝わったことを意味する。したがって、その部分の塩基配列は然変異が起きないとすれば)100パーセント一致しているはずである。そして、子のDNAの残りの2分の1は、父親とは(多くの場合、遺伝的には)赤の他人である母親から伝わったからだ。したがって、その部分の塩基配列の、父親に対する一致度は99.9パーセントしかない。

したがって、血縁度が2分の1の親子の場合、塩基配列の一致度は、DNA全体の2分の1は100パーセントで、残りの2分の1は99.9パーセントになる。つまり、全体では99.95パーセントだ。

チンパンジーと人間のDNAの類似度は,人間の親子よりもちゃんと類似度が高くなるという説明.腑に落ちた.0.1% の違いがこんなに人間の多様性を作り出しているなんて面白いな

「虎は死して皮を部め、人は死して名を現す」という言葉がある。これは、虎が死んだ後に美しい毛皮を残すように、人は死んだ後に名前を残すような生き方をすべきだ、ということらしい。でも、私はあまりこの言葉が好きではない。だって、虎を皮にするなんて可哀想ではないか。それに、「人は死して名を残す」というけれど、名を残すためには後世の人に名前を覚えてもらわなければならない。だから、みんながみんな名を残したら、後世の人は大変だ。ものすごくたくさんの人の名前を、覚えなければならない。後世の人にそんな迷惑をかけたくない気もする。それよりは「道を伝えて説を伝えず」のほうがよいかもしれない。これは立教大学の前身の創立者、チャニング・ムーア・ウィリアムズ (1829-1910)の墓碑に記された言葉である。ウィリアムズは老齢になって日本を去るときに、自分に関する記録や資料を焼却したというぐらいだから、「道を伝えて己を伝えず」という生き方を徹底して生きていたようだ。

時折著者の人生哲学が垣間見えるのも面白い.「道を伝えて説を伝えず」という生き方かっこいいな

およそ3億年前の哺乳類のY染色体には、約1500個の遺伝子があったと見積もられている。しかし、その大半は失われるか、機能しなくなっており、現在残っているのは約50個にすぎない。平均すると100万年で5個の遺伝子が失われたことになり、このペースでいくと、約1000万年後には、y染色体の遺伝子がすべて失われてしまう。その結果、男性がいなくなって人類は絶滅すると、この研究は解釈されることもあった。しかし、Y染色体の遺伝子がすべて失われても、オスがいなくなるとは限らないのである。 奄美大島に棲むアマミトゲネズミの性染色体の組み合わせは、オスもメスもXOで、Y染色体は存在しない。しかし、ちゃんとオスが生まれて精子も作られる。その仕組みはまだよくわからないが、Y染色体の遺伝子がX染色体に移動したり、新しい遺伝子が失われた遺伝子の役割を担ったりしているらしい。生物には柔軟な可塑性があり、おそらくY染体が消失しても、絶滅したりはしないだろう。

遠い将来には 男性がいなくなって人類は絶滅する という話は聞いたことあったために,凄く驚いた.あれ嘘だったのかよ(まあそんな気はしていたが…)

しかし,アマミトゲネズミのY染色体の遺伝子の遺伝の仕方は不思議だな.

地獄では、ご馳走がものすごく大きな皿に山盛りになっている。ところが、それを食べるための箸もものすごく長いので、ご馳走を自分の口に入れることができない。そのため、地獄に落ちた人々は、いつも飢えていて世界中を呪っているという。
それでは、極楽はどうかというと、じつは極楽にも同じものが置いてある。ところが、極楽の人々は飢えることがない。なぜなら、極楽の人々は、ものすごく長い箸でご馳走を挟むと、「まず、あなたからどうぞ」と、皿の向こう側にいる人の口にご馳走を入れてあげるからだ。
そのため、極楽の人々はいつも満ち足りていて、仲良くくらしているのである

著者は「エースをねらえ!」から引用をするのだが,天国と地獄の面白い世界観だ.一人で生きようとする人間はいつも文句をつけているかもしれない.感謝を忘れずに他人と暮らす.これが幸せの秘訣かもしれない.


「意識」には、自己保存に対する強烈な欲求があることだ。私たちにしても、生きたいと思うのは「生物学的に生きたい」のではなく「意識を存続させたい」からではないだろうか。「生物学的に生きる」ためには、必ずしも脳はいらない。脳が死んでも、心臓が動いていれば、生物学的には生きていることになる。でも、それは私たちの願いではないはずだ。むしろ、体は滅んでも、魂のようなものになって「意識を存続させたい」と願うのではないだろうか。もしかしたら、意識のメリットがよくわからない理由は、意識を手段と考えたからかもしれない。「生きる」という「目的」のために「意識」という「手段」が進化したのではなく、「意識」 も「生きる」と同様に「目的」なのかもしれない。そうであれば、意識は、脳が一定の構造を持つと不可避的に生じてしまう可能性が高い。「生きる」ための手段としてではなく、つまり「生きる」ために有利とか不利とかに関係なく生じるためには、そう考えるのが自然だろう。

この文章が,本書で最も深淵な箇所だ.私でなくても,これを読んでLLMを連想した人間は多いだろう.

つまり現代ではLLMには「意識はない」とされているが,サラッと書かれている

意識は、脳が一定の構造を持つと不可避的に生じてしまう可能性が高い

これが本当のことだとすると,エライコッチャ である.

本当にSFの世界である.機械が意識を持った時それを人間の意識と同一に見なして良いのか,という話だ.攻殻機動隊の世界だ.

意識が生物から無生物に移行する時代が本当にもうすぐそこまで来ているかもしれない.

進化論に関する本書からこうした意外な知見までも得られて非常に満足だった.