著者
ビョルン・ヴァフルロース Private or Broken Links
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カテゴリ
発行日
2019
読書開始日
2022-03-08
3選
- 赤字財政支出がケインズ派の期待する効果を生みだしていないことはくり返し証明されている。にもかかわらず、どういうわけかケインズ神話は根強く残っている。(いやいやではあるが)クルーグマン流の表現でいえばこうだ。「ケインズ的な景気刺微策はゴキブリ理論だ。何度トイレに流しても戻ってくるしつこいヤツだ。ジャーナリストや社会民主主義派の経済学者、政治家、ひいては投資家までもが、赤字財政支出を不況と失業と株価下落へのほぼ完全な治療法だと考えるのはなぜなんだ?」
- 判断力に欠けていたというケースはよくある。だが突き詰めると、フランスのタレーラン元首相が言うように、悪い判断は、そのほとんどがタイミングの問題にすぎないのだ。
- 知性のある人は事実が変われば考えを改める、とケインズは言った。人の気持ちを変えるのはなぜこれほど難しいのか?どうして人はケインズ理論のような時代おくれの理論や念にしがみつくのだろう?現実が彼らの顔をのぞきこみ、その救済策はもううまくいかないと教えているのに?なぜ私たちは社会的、宗教的、経済的な条に固執するのか?自分に正直になれば、その考えが事実に支えられていないことや、ただの間違いだったことに気づくはずにもかかわらず。答えは人的資本にあると私は思う。1980年代のはじめ、アメリカのロードアイランド州プロビデンスにあるブラウン大学の教授専用クラブで昼食をとったときのことだ。年上の仲間数人が、ある不法な死の訴訟で専門家証人として出廷するかどうかを議論していた。証人は、故人の命に値段をつける。賛否は分かれるが、優秀なマクロ経済学者にとっては難しい仕事ではない。私の友人が心配していたのは、命に値段をつけるのが倫理的に正しいかどうかではない。人的資本を費やすかどうかだった。専門家証人として出廷すれば、命の価値を測るための方法論とパラメータについての自分の意見が記録に残る。今後、別の裁判でも同じ意見をくり返せば専門家として稼ぐことはできるだろうが、この先、一生その意見を変えることはできなくなる。予測可能であることは、訴訟における専門家証人としての大切な資産だ。それがなければ、次に声がかからない。専門家は予測の正確さによって判断され評価される。まぐれ当たりを避けるため、主張の一貫性も必要になる。そして、専門家は意見を変えるのを避けたがる。理由はふたつ。まず、意見を変えれば周囲からの信用に傷がついたり、仲間からの言頼を失ったりする。この潜在的な損失、つまり取引コストのせいで、彼は、まだ人的資本を費やしてない人よりもかなり長い期間にわたって意見を変えないように努力する。人的資本を費やしていない場合は、心が開かれているともいえる。専門家証人は、意見を変えることで失う人的資本の損失が、意見を保つことによる予想損失を超えるまで、昔の意見を通す。もう少し簡単にいうと、専門家は恥をかきたくないために、失う評判のない人よりも、なかなか意見を変えないということだ。
メモ
著者のビョルン・ヴァフルロース(Björn Wahlroos)は1979年に母国フィンランドのハンケン経済大学でPh.D(経済学)を取得し、経済学教授としてのキャリアをスタート。米国のブラウン大学、ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院でも教を執る。その後、金融業界に転身し、1990年代初頭に投資銀行を設立。株式公開を行い、北欧でも有数の金融グループのCEOとなった。北欧最大の銀行・保険グループおよび最も成功したビジネス・スクールのトップを務める。
学者っぽい硬い書き口が読みにくいところもあるが,取り上げられたトピック自体は面白い.
まずケインジアンを否定する.まずニューディール政策の否定から.
しかし1929年10月時点で、恐慌を引き起こすような悪い予兆は見あたらなかった。実際、 1930年4月までに株式市場は暗黒の木曜日以前の水準まで回復した。それまでの3年間、アメリ力経済は宙ぶらりんの高止まり状態にあった。ハーバート・フーバー大統領は産業界の経営者と労働組合のリーダーをホワイトハウスに集めて会合を開き、賃下げをしないように説得しつつ公共投資を増やしつづけた。つまり、ニューディール以前にその土台は築かれていたのだ。一方で銀行が破続し、FRBは金融引き締めを継続中だった。スムート・ホーリー法によって関税が大幅に引きあげられたことも追い打ちをかけ、1932年の大統領選挙日までに経済は確実に悪化した。いま思えば、保護主義と、金融政策の大失敗が1929-30年にかけての景気の谷を大恐慌へと向かわせたのだとわかる。 とんでもない法案だったAAAに最後の最後に盛りこまれた、一見ささいな修正条項が、一連のニューディール政策をひっくるめた以上に(このハードルは低いが)アメリカ経済に役立った。ドルを金から切り離し、実質的な通貨切り下げを行ったのである。これでFRBは黄金の拘束服から解き放たれ、いくらかマシな金融政策が行えるようになった。1930-32年のあいだに5100行が、1933年にはさらに4000行が破綻して、肩用と経済は著しく縮小していた。1933年の失業率は24・9%まで上昇した。スタインベックの小説『怒りの葡萄』には当時の市民の窮状がありありと描かれている。偶然だが、1933年の失業者数は2011年とほぼ同数だった。 発足して8年になるが、失業率は発足時と変わらない。・・・・・にもかかわらず、賃務は肥大した」。ニューディールは紛れもなく大失策だった。やっと完全雇用が実現したのは1942年のことで、徴兵が始まり女性が労働参加するようになってはじめて、GDPが1928年の水準を上回った。ニューディール神話をつくりあげたのは、政府や国中の大学で教える介入主義奉者たちだった。歴史家のアーサー・シュレジンジャーとウィリアム・ルクテンバーグが本質を見抜く 反ケインズ派は色めきたった。それこそ、彼らが必死に訴えてきたことだったからだ。フィリップス曲線は、一時的な金融変動の衝撃(中央銀行による思いがけない緩和や引き締め)によって生まれる単なる短期現象だと彼らは言いつづけてきた。突然の金融政策が労働者や市場にショックを与えると、一時的に生産量は変動する。だが、やがてアウトプットは介入前の水準に「自然」と戻り、市場のショックはインフレ率の変化に吸収される。そのためフィリップス曲線は徐々に垂直に近づき、
アメリカとイギリスの両国とも、金本位制の魔止が景気を回復させ、通貨切り下げが経済の競争力を回復させたのだ。しかしアメリカは、1929-33年までの金融引き締め政策と、その結果起きた銀行の破、それに続く増税とニューディール政策の規制によって不況が長引いた。そこからやっと抜けだせたのは、第二次世界大戦開戦によって急激に需要が拡大したおかげだった。
つまり,ニューディール政策の「成果」と呼ばれるものは「1942年のことで、徴兵が始まり女性が労働参加するようになって」からだという.
人々が何が起きているかに気づくと財政政策はその効力を失うため、ケインズは私たち人間が愚かとは言わないまでも、学習しない存在だと決めつけるほかなかった。本来のケインズ理論では、この点は重要視されるものではなかった。政策は短期的なものに限られ、政府や中央銀行の行動に世間が気づく時間などないはずだった。ところが、同じ政策がくり返されるのを見るうちに、この前提に重きが置かれはじめた。ケインズの後継者たちが主張する長期的な理論では、この点がいっそう重要性を帯びるようになり、人はくり返し同じ政策につきあわされても、文句を言うこともなければ、ふるまいを変えることもないとされたのである。政府債務による赤字財政支出の先には増税が待っている。中央銀行がお札を刷りすぎればインフレが起きる。それを見越して人々が行動を変えると考えるほうが理にかなっている。だから、総需要管理は長期の経済活動にほとんど影響を与えない
ケインズそのものよりケインズの後継者に財政出動は都合よく解釈され,実施されてきた.
資本主義は搾取ではないという
ここから導きだされる重要な結論はふたつだ。ひとつは、土地なり、その他の資源なり、コモディティなりが需要をはるかに上回っているあいだは共同所有を続けられるということだ。需要に対して供給が無尽蔵にある場合はいくらでも持続可能だろう。経済学的にいえば、潤沢な供給のおかげで資源の経済的価値はゼロになる。価値がゼロなので、なんらかの策を講じて入場料や放牧料を徴収する必要はない。無料のアクセスが許されるのだ。しかし資源が底をつきかけると、なんらかの手段で放牧を制限しなければならなくなる。 もうひとつは、経済成長と技術進歩によって大半の資源需要は増えるということだ。すると、無限に見えた資源の多くは底をつき、その(暗黙の)価値は何倍にも跳ねあがる。タダの資源が消費しつくされてしまうのは経済の基本原則である。それを防ぐには、タダだった資源の多くをグローバルな市場経済に組み入れるほかない。さもなければ、消費を制限するしかなくなる。
共有地の悲劇の解決策はおもに次の3つ。①利用条件への合意をとりつけること、②民営化すること、希少資源に値段をつけること、である。
では搾取とは何か.
資本主義が搾取を生みだすのではない。搾取の原因は共有性にある。所有者は、自分の所有物を濫用したり浪費したりはしない。もしそんなことをするとしたら、偶然か、単なる無能のせいだ。搾取とは他人のふところに自分の手を入れることである。他人のものに手を伸ばせば窃盗だし、捕まれば罰を受ける。どんな罰を受けるかは法制度しだいだが、罰金ですむこともあれば、極端なケースでは右手を切り落とされることもある。しかし、ほんの少しだけ自分にも所有権があり、多くの人と共有しているクッキー缶に手を入れた場合にはなぜか窃盗にはならない。大半の人は倫理にもとると考えるだろうが、たいがい罪に問われることはない。
だから搾取に対抗しようと思ったら、資本主義や市場と闘うのではなく、それを推進すべきなのだ。
私たちが直接的に、またはさまざまな公共媒体を通じて部分的に共有しているものの数を減らすことではじめて、資源のムダ遣いや環境問題への対応が可能になる。共有資源のほんの一部しか所有していない人には、その資源を気づかう気持ちなど生まれはしない。よりよい世界をめざすなら、もっと資本主義を進めるべきで後退させてはならない。
では,もし資源を制限しなければならないとすればどうするべきだろうか.
先ほどあげた解決策は人口問題にもみごとにあてはまる。理論上は、人口もCO2と同じように扱える。たとえば70億人の人口上限を設けて、若い夫婦に子供をつくる権利を入札させればいい。中国の一人っ子政策よりも、こちらのほうが純粋に経済学的な意味で優れている。
だが、この解決策には明らかな点がいくつかある。小説『ソフィーの選択』ほどではないにしろ、究極の選択を人々に迫ることになる。ふつうなら天からの授かりものであるはずの決断をみずから下さなければならなくなる。人生の大きな喜びである子供をもつことが、金持ちの特権になりかねない。
長い目で見れば、その政策が格差是正に役立つとしても、人間の尊厳について考えたとき、子供をもつ権利を売買する政策が許されはしないだろう。少なくとも、万策を尽くしたあとでなければ許されないはずだ。
なかなか厳しい… 理論的に正しくても,政策的実現可能性が低いことは著者も重々承知のようだ.
市場は十分に効率的であるという
ベビーシッターやナニーといった子守代は税控除の対象、つまり経費にならないため、税引き後の収入から守代を捻出しなければならない。結果、税率と社会保障費が低めなアメリカでさえ、誰かを雇おうと思ったら、いまの数倍もの手取りがないと雇えないのが実情なのだ。高税率のヨーロッパ諸国ともなれば、さらに多くの手取りが必要になる。
ケインズはラッファー曲線の存在を認識しており、1931年にこう書いている。「成果を集める時間が充分にあるという前提なら、減税は均衡予算よりも効果的だろう」。さらにメロンに同調し、増税推進論者を、買い手がいないのに製品価格を上げつづける製造業者にたとえた。メロンはフォードのライン生産システムをあげて、まさに同じことを唱えている。「フォードが自動車の価格を高く据え置いて販売台数が少なくても1台あたり利益を確保するのではなく、価格を下げて販売台数を増やすことで莫大な利益を得たことは明白だ」
もちろん消費税や固定資産税のように、ラッファー曲線が順調な右肩上がりを描く場合もある。だが、追加的な増税が行われ、不動産の担保価値が大きく目減りしては元も子もない。消費税や付加価値税率の引き上げで税収が大幅に伸びたとしても、公平性の観点から不満が噴出する。逆に公平性を重視して贅沢品だけに増税すると、免税品のルイ・ヴィトンをはじめとする高級品の輸入が増え、自動車の買い控えが起きる。だから財政赤字の削滅には、増税ではなく歳出削減で対処すべきなのだ
取引コストがゼロであること、情報がタダであること、投資家が合理的であることは、完全に効率的な市場の実現にとって十分条件ではあるが、必要条件ではない。そこまで理想的な条件が揃わなくても、効率的市場は実現できるし、たいていは実現するだろう。効率的市場仮説に向けられた批判とは対照的に、金融経済学者は完全に合理的な投資家や完全な情報といった前提をみごとなくらいに無視している。それどころか彼らは、自己利益あるいはケインズなら「利益追求」と呼ぶものがあるからこそ、市場参加者は非効率を見つけだしてそれらを除き、恩恵を得ようとする気になるのだと主張する。よって、「誰もが知っているとおり、人間は完全に合理的ではない。ゆえに、市場も効率的なはずがない」という効率的市場仮説に向けられたおなじみの批判は、効率性の議論に対する誤解に根ざしているのだ
大事なことを言い忘れていたが、ケインズとケインズ学派のマクロ経済学者にとって、不均衡論を主張するには、金融市場が不完全で非効率であるほうが都合がよかった。流動性の罠が存在しなければ、低金利下でも用市場を通して投資家が利益を得られてしまい、経済を再生するのに赤字財政などの財政介入も不要になる。金融市場が非効率でなければ、ケインズ理論は成り立たず、マクロ経済学者が失業する。さらに経済予測や政策へのアプローチ方法を変えなければならないとしたら、それこそ最悪だ。
この辺りはジョージ・ソロスと対立する.ソロスは市場は常に間違っている,と言う.多分,見ている時間軸の違いだと思うが.この辺りはソロスの著作を今後読んで,紐解いていこうと思う.
次の具体例は面白い.
ジョアンとリチャードのスウィーニー夫妻の論文「キャピトルヒルのベビーシッター共同組合危機について」を見てみることにしよう。ポール・クルーグマンは総需要管理政策の必要性を説くにあたって、この論文を好んで引き合いに出す。1950年代終わり、ワシントンの議会で働く夫婦が集まってベビーシッター共同組合を始めた。目的は、組合員のなかで「子育ての負担を公平に分担するため」だ。十数年後、組合員数は200名になっていた。もともとのシステムは単純なもので、誰かの子供の面倒をみたら、その時間に応じてクーポン券がもらえ、後日そのクーポン券を使って自分の子供の面倒をみてもらえた。
入会時にはまず20時間分のクーポン券がもらえるが、脱退時にはそれを返却するルールとなっていた。当初、このシステムはうまくいっていたが、しばらくすると行き詰まった。組合員は入会時にもらう20時間分を使わずに多くのクーポン券を貯めこんだため、クーポン券が不足し、ベビーシッターをする側(供給)がされる側(需要)を上回るようになった。
不測の事態に備えてクーポン券を貯めておきたい組合員が、貴重なクーポン券を使わずにすむように外出を控えたため、ベビーシッターの需要がますます減った。組合は、個人の行動ではどうにもならない「リセッション(景気後退)」に陥ってしまったのである。
クルーグマンはこの例を踏まえながら、ベビーシッターサービスの総需要を拡大するために政府介入の必要性を訴える。だがあいにく、その診断も治療法も間違っている。同組合は資金不足だっただけなのだ。子守りへの需要が不足していたわけだから、価格変更をしたところでリセッションから脱しはしない。金融政策の転換が求められた。
ミルトン・フリードマンの言葉をもじっていえば、「デフレは、いついかなる場合も貨幣的な現象だ」と彼らは気づき、クーポン券の供給不足が問題の原因だと結論づけた。そこで、全組合員にあらためて10時間分のクーポン券を配り、新規組合員には10時間追加した計30時間分のクーポン券を与え、脱退時には従来どおり20時間分だけ返せばいいことにした。
この変更をきっかけに、まもなく需給は均衡し、組合の新たな黄金時代が幕を開けた。だが予想されたとおり、完璧とはいかなかった。新入り組合員の追加(10時間)分と利用枚数が、組合員から受けとるクーポン券数を超えるにつれ、需要より速いペースでマネーサプライが拡大した。外出する人が増えてシッターが不足するにしたがい、リセッションはインフレに転じた。結局、クーポン券供給は管理不行き届きで、共同組合はリセッションとインフレが交互に訪れるシーソー状態に陥った。ここから導きだされる教訓は、①市場や中央銀行がないなかで計画経済を運営するのは至難の業であること、@市場を機能させられないなら、少なくとも通貨管理を担う中央銀行を設けること、③金融政策の指揮を弁護士に一任してはならないこと、の3点である。
クルーグマンの方法が論外だとしても(ぉ),フリードマンの指摘は深い.
最初起こった事態は「組合員は入会時にもらう20時間分を使わずに多くのクーポン券を貯めこんだため,クーポン券が不足し、ベビーシッターをする側(供給)がされる側(需要)を上回るようになった。」
対価と通貨価値が釣り合っておらず,対価<通貨価値であるとき「デフレ」と呼ぶのだった.言うまでもなくクーポン券(=通貨)を溜め込んだという意味である.
そこでフリードマンはクーポン券の供給を増やした.
次に起こった事態は「需要より速いペースでマネーサプライが拡大した。外出する人が増えてシッターが不足するにしたがい、リセッションはインフレに転じた」
これは,対価>通貨価値 となったということであり,「結局、クーポン券供給は管理不行き届きで、共同組合はリセッションとインフレが交互に訪れるシーソー状態に陥った」のだから,対価=通貨価値となる時間は長くは続かなかったのだろう.
最近第二期トランプ政権でまた金本位制へ回帰する話があったりなかったりするが,金本位制の歴史を簡単に振り返ることができた
ドルが金から切り離されたのは9カ月間だけで、1934年1月30日にふたたび1オンス35ドルに固定された。10年後、ブレトンウッズ協定でこのペッグ制が認められ、ドルに固定された条約加盟国の通貨も間接的に金に結びつけられた。1950年代の大半、関税と割り当てによって資本移動と世界貿易が管理され、固定相場制はなんとか維持された。だが時がたつにつれ、条約加盟国の通貨切り下げ(ドイツは通貨切り上げ)が相次ぎ、固定相場制への圧力は高まった。インフレが加速し、国際貿易と、資本の流出が増大したことから、1971年にアメリカがドルと金との交換停止を余儀なくされ、固定相場制は終焉を迎えた。
ブレトンウッズ協定でペッグ制を敷いたものの,通貨切り下げが続くと相対的に金の価値が高くなり,しかし「ペッグ」されているので金の流出が止まらなくなる.そこで,ニクソンショックでペッグ制からの離脱があった,という経緯.
他にもリーマン・ショックを振り返る
リスクを分散して住宅ローン担保証券の価値を上げるために、投資銀行は異なる地域の資産を織りまぜて債券を組成した。たとえば、ラスベガスの数千の住宅ローンをひとつの証券にまとめるのではなく、20の地域の住宅ローンを混ぜあわせてひとつの証券をつくった。投資家にとって、それは実に理にかなっていた。リスクを分散しておけば、ある地域の不動産価格が思いがけない値動きをしても安心だ。とはいえ、証券を構成する個別資産の価値(少なくとも一部の個別資産の価値)がたがいに低い相関を保っていなければ、分散はきかない。ここ最近のアメリカの傾向を見ると、不動産価格の下落はたいがい限られた地域で起きており、おもに原油価格の変動がその引き金になっていた。過去のデータを見るかぎり、実際に相関は低かった。しかし、2006年終わりには住宅不動産ローンの焦げつきがはじまり、それはアメリカ全土に拡がった。その結果、投資家は分散からなんの恩恵も受けられなかった。彼らが持っていた証券は金融エンジニアの予測よりもはるかに安全性が低かった。
今では多重共線性として広く知られる現象をみんな知らなかったということだろう.牧歌的な時代だ.
数々の経済政策,金融政策の失策を本書で述べてきたうえで,著者はテイラールールを紹介する
!../../assets/img/Public/世界をダメにした10の経済学 - ビョルン・ヴァフルロース-20250507163546735.jpg Private or Broken Links
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\(I = P + R + \partial (P - P^*) + \mu (T - T^*)\) $I$ : 中央銀行の短期金利目標 $R$:想定される均衡実質金利 $P$:現在のインフレ率 $P^$:インフレ目標率 $T$:実質GDPの対数 $T^$:潜在的な実質GDPの対数 $\partial, \mu$:正の定数
これがルールかどうかはともかく、その原則のほうが重要だ。①中央銀行はまずなにより金融政策において予測可能でなければならないし、その金融政策は市場が解釈しやすいものでなければならい。②中央銀行はインフレと実質成長の両方の目標未達に対応しなければならない。③中央銀行さ「大勢に逆らっては」ならない。つまり、インフレと経済成長が目標をはずれたら対応しなければたらない。④そのような対応は強力でなければならない。たとえば、金利の変更幅はインフレ目標の逸脱度や潜在成長率の逸脱度より大きなものでなければならない。これがいわゆる「テイラー原則」である
EUについて,著者は悲観的である.
ヨーロッパの国々は長年、いかにもジャン=クロード・ユンケルが望みそうな行動をしてきた。再選を心配し、正しいことができなかった。減税、労働市場改革や社会保障改革、規制と官僚制度の打破を進めるかわりに、彼らはありもしないカネを使いつづけ、雲をつかむような乗数効果による救済を求めてきた。結果、山のような債務が残り、税負担は過剰になり、競争力は失われた。それが経済成長を阻み、いまやユーロとEUの存続を脅かしている。
アメリカのジョージ・P・シュルツ元国務長官の言葉を借りるなら、「(ヨーロッパ人は)自分たちの生きる場所が国なのか、コミュニティなのか、ユーロ圏なのかがわかっていない。だから問題をたらいまわしにし、そうすることで現実から目を背けている」。