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J・D・ヴァンス Private or Broken Links
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発行日
2022-04
読書開始日
2025-04-12
3選
- あの1週間にわたる面接を経験して、成功者たちはふつうの人とはまったくルールのちがうゲームをしていることに気がついた。彼らは、会社から面接に呼んでもらうために、履歴書を書いて応募したりはしない。代わりにネットワークを使うのだ。友人の友人にメールを送って、よい待遇を受けられるように名前を売り込んでもらう。親類のおじさんと連絡をとり、大学時代の知り合いに話をしてもらう。大学の就職相談窓口に行って、何か月も前から面接の約束を取りつけてもらう。そして、何を着て、誰とどんな話をすればいいかを両親から教えてもらうのだ。もちろん、経歴のよしあしや面接の出来不出来が就職とは関係ないと言っているわけではない。どちらも大切だ。だが、経済学者が「社会関係資本」と呼ぶものには、計り知れない価値がある。これは学術用語だが、それが意味することはシンプルだ。社会関係資本とは、「自分が周囲の人や組織とのあいだに持つネットワークには、実際に経済的な価値がある」ことを意味する。このネットワークは、私たちを会うべき人に引き合わせてくれたり、価値ある情報やチャンスを与えてくれたりする。ネットワークがなければ、自分ひとりですべてをこなさなければならない。
- これが私の暮らす世界だった。完全に合理性をいた行動で成り立っている世界だ。金を使って貧困へ向かっていく。巨大なテレビやiPadを買う。高利率のクレジットカードと、給料を担保にする高利貸し(ペイディローン)で、子どもにいい服を着させる。必要もないのに家を買い、それを担保にまた金を借りて使い、結局、破産を首告される。あとに残るのは、ゴミの山だけ。節約はわれわれヒルビリーの本性に反しているのだ。上流階層になったふりをするために金を使う。その結果、破産したり、親類に愚行の尻ぬぐいをしてもらったりして、落ち着くところに落ち着くと、あとには何も残っていない。
- いまでも私は、「利用できる」人がいるというのは、つまり親がいるのと同じことだと思っている。私とリンジーは、人に負担をかけてはいけないと刷り込まれていた。そういう意識は、食生活のことにまで及んでいた。実際には私たちはさまざまな人に頼って生きていたが、その多くは本来、私たちに対してその役割をはたすべきではない人たちだった。そのことを私たちは本能的に感じていた。(中略)愛情に満ちた安定した家庭が、子どもにいい影響をもたらすことは、社会科学のさまざまな研究によっても証明されている。祖母の家が一時的な逃げ場を与えてくれただけでなく、よりよい人生を送る希望も持たせてくれたこと、そのことの効果を示唆する研究も、10本以上挙げることができる。「子どもの回復力」といわれる現象について書かれた本が、何冊も出ている。不安定な家庭で育ちながらも、愛情を持って接する大人から社会的なサポートを得られれば、うまくやっていけるようになるという
メモ
第二期トランプ政権で副大統領を務めている J. D. ヴァンスの自伝.とはいえこの本がアメリカで発売されたときは第一期トランプ政権なので,本が売れて有名になったから副大統領にまで上り詰めることができた,という方が正しいだろうか
壮絶な半生である.ラストベルト地帯というのは,イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア州にまたがる旧工場地帯のことで,ここではかつて自動車産業が盛んであったが日本車にシェアを奪われ,そして中国という世界の工場の台頭で,アメリカの発展から取り残された地域のことである.
ここで育ったヴァンスだが薬物依存でシングルマザーの母との生活は困難を極め,むしろ祖母(母の母)に助けられながらなんとか学校に通い続けるという話である.
かいつまんで言えば,家を変えながらシングルマザーで薬物依存の母とは距離を取りつつ,主に祖母の支援を受けつつ,中学,高校を何とか卒業し,卒業後は海兵隊に入り,その後オハイオ州立大学,そしてイェール大学院に通って,弁護士になった.(そして副大統領へ)
中高という多感な時期に祖母と暮らさざるを得なかったというのは分かるとしても,やはりどう考えてもその後の「海兵隊」で4年間心身を鍛え直したことが大きく人生を正しい方向に修正している.
到着したその日から、ファーストネームで呼ばれることはなくなる。「私は」と言うのも許されない。自分の個性などというものは否定するように教え込まれるからだ。 会話はすべて、「本新兵は」で始める。本新兵は、ヘッド(トイレ)へ行く必要があります、本新兵は、衛生下士官(医者)のところへ行く必要があります、といった具合だ。海兵隊のタトゥーを入れてブート・キャンプにやってきた間抜けが何人かいたが、容赦なく叱りつけられていた。 (中略)昔は考えもしなかった疑問を抱くようになった。砂糖が入っているのか。この肉には飽和脂肪がたくさん含まれているのではないか。塩はどれだけ入っているのか。たんに食べもののこととはいえ、以前と同じような目でミドルタウンを見ることはもうできないとわかった。たった数か月で、私は海兵隊にものの見方をすっかり変えられてしまったのだ。
海兵隊は生活を正すのにものすごく役立つようだ.ヒルビリーは全員海兵隊に入れば良いのでは?とすら思ったぐらいだ
日本だと海兵隊にあたるものがない.経済状況が厳しい家庭において学業よりも「明日をどう生き延びるか」が根本的に大事になってくる.しかし,日本において階層を変えるには基本的には大学入試が大きなウェイトを占めてくるため,学業以外で人生の軌道を戻す装置が不足している.そうなれば働くしかないのだが,中卒や高卒で働ける場所というのは限られているし,何よりそういった場所は教育機関ではないので,再現性のあるやり方で教育される保証はない.
比較的近い装置として高等専門学校があるかもしれない.しかし高等専門学校も結局は卒業後大学編入をするか,就職を目指すものであるから,生活全般のスタンダードを矯正するためのものではない.
生活に密接する事柄を教え込む装置は義務教育がある,という反論があるかもしれない.しかし,義務教育とはあくまで昼間の学校にいる間の教育であり,「生活に密接する知識」は家庭で教わることになっている.つまりそれは「どんな食べ物に砂糖が入っているのか」から「車をローンで買う時は銀行を比較する」といったようなものまでだ.
こんなことを教えてくれる再現性の高い教育方法がどこにあるのだろうか.日本でもようやく金融教育を始めるらしいが,どんなものになるのだろうか.
ラストベルト地帯に住む人は「他に移り住みたくても移り住めなかった人たち」だ.
その地域の地価が下がっており,持っている不動産の価格が下がりつつあるのにも関わらず,その場に居続けると,気付いた時には他の地域に移り住むために必要な資金が十分でなかったり,同じ生活の質を保つことができなかったりするのだ.
不動産のローンが残っていればなおさらだ.移り住むことがますます難しくなる.そうすると他の地域に移り住んでいれば稼げていた機会収益を失うことになり,その地域からますます移り住むことは難しくなる.
他にも家族関係のようなしがらみもある.長年その地域に住んでいた人であればそこに住み続けることは義務のように感じられるだろう.
移動することに経済合理性があっても家族関係で移動できない時、ヒルビリーエレジーになるのだ.
他に驚いたのは,ここまで酷くはなかったものの個人的に心当たりのある話が至るところに書かれていたことだ.
これまでの私は、完全に健康で体型も普通だった。いつも運動をしていて、食べ物にさほど気を配っていたわけではないが、そんな必要もなかったのだ。それなのに、体重が増えだし、5年生の初めには完全に肥満体だった。しょっちゅう体調が悪くなっては、学校の看護師にひどい腹痛を訴えるようになった。 当時はわかっていなかったが、家でのトラウマが、あきらかに健康に悪影響を与えていたのだ。「小学生は、からだの不調によって苦しみの号を発することがあります。たとえば腹痛や頭痛といった痛みです」自宅でトラウマを経験している子どもに関する、学校管理者向けの資料にはこう書いてある。
小学生の時通っていた塾の理科の先生が怒りっぽく,とても怖かった.宿題をせずに行くとめちゃくちゃ怖かった.みんなの前で怒るものだから恥ずかしかったし,喜ばす方法がわからなかったから(後でわかったことだが,賢い子どもがこの先生は好きだった),怒られてばかりだった.
理科の授業の日は憂鬱だった.授業の時間が近くなるとお腹がよく痛くなった.腹痛でよく授業を休んだ.そのうち病院に連れられるようになり,過敏性腸症候群という診断をもらったものの特に何か生活がかわることはなかった.
子どもにストレスやトラウマを与えることは良くないことだ.
だから、すでに聞き飽きた謝罪の言葉を、また聞くはめになった。母は謝るのがうまい。おそらく、うまくならざるをえなかったのだろう。母が「ごめんなさい」と言わなければ、リンジーも私もけっして口をきこうとしなかったのだから。ただ母は、本当に申しわけないとも思っていたのだろう。心の奥にはいつも罪悪感があって、たぶん毎回、私たちに約束するとおり、「二度とこんなことはしない」と思っているのだろう。でも結局、また同じことをする。 「ばあちゃんに電話して!」私は叫んだ。「助けて。母さんに殺される!」その女性がプールから上がってくるあいだ、私は母が現れるのではないかとおびえながら、辺りを見回していた。家のなかに入って祖母に電話し、その家の住所を繰り返し伝えた。「お願いだから急いで来て。母さんに見つかっちゃうよ」と私は言った。 収拾がつかなくなる前に、祖母が止めに入ったとはいえ、私たちが事故死しなかったのは奇跡だ。母が運転しながら後部座席にいる子どもをひっぱたくと、今度は祖母が助手席から母をひっぱたいて叱りつける。それでようやく母は車を停めたのだ。母はいくつものことを同時にこなせる人間だが、このときばかりはさすがに手に余ったらしい。 祖母は母に、もしまたかんしゃくを起こしたら、おまえの顔面を銃で撃ち抜くぞと言いわたし、誰もがおし黙ったまま家に向かった。その日の夜は、リンジーも私も祖母の家に泊まった。 祖母が教えてくれた”神学”は、洗練されてはいなかったが、私が必要としていたメッセージは十分提供してくれた。楽をして生きていたら、神から与えられた才能を無駄にしてしまう。だから一生懸命働かないといけない。クリスチャンたるもの、家族の面倒を見なくてはならない
父からはよく謝罪の言葉を聞いた.行動は伴わない.その度家族は怒り,失望し,呆れた.
病気なんだと思うが,家族はたまったものではない.大変すぎる.
私がディルマンで見聞きしたことを話すたびに、祖母は熱心に聞き入った。私たちは労働者階層の仲間の一部に不信感を抱くようになった。私たちはみんな、なんとか生きていこうと四苦八苦しながら、きちんとやりくりをし、一生懸命働いて、よりよい人生を送りたいと願っている。ところが、かなりの数の連中が失業手当で生活し、それに満足している。 2週間に一度、私はわずかな給料を小切手で受け取るのだが、かならず連邦政府と州の所得税が引かれている。そして同じぐらいの頻度で、近所の薬物依存者がTボーン・ステーキを買っていく。私は自分では金がなくてステーキなど買えないのに、合粟国政府に税金を徴収され、私が払ったその税金で、他人がステーキを買っているのだ。 祖母も私も、働いている貧乏人と働いていない貧乏人とのあいだにはっきりと線を引こうとしたのだが、面汚しだと感じる人間たちと自分たちとのあいだにたくさんの共通点があることも認めざるをえなかった。 実際、セクション8の受給者たちは、私たちにとてもよく似ていた。隣りの家に最初に引っ越してきた家族の主は女性だったが、ケンタッキーで生まれ、小さいときによりよい生活を求める両親とともに北へ引っ越した。ふたりの男と関わりあいになり、それぞれの男がひとりずつ子どもを残して去っていったが、養育費は払ってもらえなかった
「働いていない貧乏人とのあいだにはっきりと線を引こうとしたのだが、面汚しだと感じる人間たちと自分たちとのあいだにたくさんの共通点があることも認めざるをえなかった」
葛藤である.働いている/いない で人を区別しようとすると,病気だったり年を取った人を区別せざるをえなくなる.要は勤勉か否かなのだが,この線引きは意外と難しい.
一つの統一的なドグマを求めようとすること自体が一神教的で間違えているのかもしれないが.
何百万もの人が、工場での仕事を求めて北へ移住するにつれて、工場の周辺地域にコミュニティができたのだが、コミュニティは活気がありながらも、きわめて脂弱だった。工場が閉鎖されると、人々はそこに取り残される。だが、町はもはや、これだけの人口に質の高い仕事を提供することはできなかった。 概して、教育レベルが高いか、裕福か、あるいは人間関係に恵まれている人たちは、そこを去ることができたが、貧しい人はコミュニティに残された。こうして残された人たちが「本当に不利な立場に置かれた人々」、つまり、自分では仕事を見つけられず、人とのつながりや社会的支援といった面ではほとんど何も提供してくれないコミュニティのなかにぽつんと取り残された人々だ。
移動の自由は憲法で保障されていても,実際には移動には金銭面の負担があるため,経済合理性を考えれば移動しないほうが得だし,移動する選択をする人はそれを上回るメリットがあるからそうする.
「経済的に困窮している人がより良い場所を求めて移動するということはできず,見送っている間に取り残された」という方が正しいのだろう.
子どもは勉強しない。親も子どもに勉強をさせない。だから子どもの成績は悪い。 親が子どもを叱りつけることもあるが、平和で静かな環境を整えることで成績が上がるよう協力することはまずありえない。成績がトップクラスの一番賢い子たちですら、仮に家庭内の戦場で生き残ることができたとしても、進学するのはせいぜいが自宅近くのカレッジだ。 「ノートルダム大学に行こうが、どこに行こうが、かまいやしない」というのが親の考えだ。「コミュニティカレッジで、立派な教育が安く受けられるんだから」皮肉なのは、私たちのような貧困層にとっては、実際には奨学金が受けられるノートルダム大学に行ったほうが、コミュニティカレッジよりも安あがりで立派な教育が受けられるということだ。 本来ならば仕事をしていなければならない年齢なのに、働かない。仕事に就くこともあるが、長くは続かない。遅刻したり、商品を盗んでeBay(オンライン・マーケットプレイス)で売り飛ばしたり、息がアルコール臭いと客からクレームをつけられたり、勤務時間中に30分のトイレ休憩を5回もとったりして、クビになる。
勉強するには環境が大事.環境を作るのが親の仕事.まあ,そういう意味では全寮制の学校というのが機能するというのも分からなくはない.
もちろん、白人の労働者階層が、みんなこのような生活を送っていたわけではない。 子どものときから、2種類の考え方と社会的規範があるのはわかっていた。 祖父母がその片方を体現していた。昔ながらで、つつましく誠実であり、自立していて、勤勉であるべきというものだ。母が体現していたのがもうひとつのほうで、コミュニティ全体がだんだんとそちらに向かっていった。そこでは、消費主義、孤立、怒り、不信感が中心に据えられている
「消費主義、孤立、怒り、不信感」…これは何によって作られるのだろう
おばと母は、子どもながらに、両親のけんかをそれぞれ違った形で受け止めていたようだ。おばは、落ち着くようにふたりに頼み込んだり、祖母の怒りを鎮めるために、一緒に祖父を攻撃したりしたが、母はただ隠れたり、逃げ出したり、耳をふさいで床に伏せたりしていたようだ。母は、おじやおばほど、両親のけんかにうまく対処できなかった。母は、ヴァンス家のなかで統計数値のゲームに負けたのだ。家族のなかにそういう子どもがひとりしかいなかったのは、むしろ幸運だったと言えるかもしれない。
両親が子どもの前で喧嘩するのはやはり良くないらしい
最後に会ってから数か月後、ブライアンの母親が急逝したという知らせが届いた。 長く一緒に暮らしていなかった母親が亡くなったからといって、それほど落ち込むこともないだろうと、人は考えるかもしれない。だが、それはまちがっている。ブライアンや私のように、ヒルビリーが親と連絡をとらなくなるのは、親を心配していないからではなく、この世界で生き残らなければならないからだ。親を愛する気持ちはつねにあり、愛する人が変わってくれるという希望を、いつも抱いている。あるいはむしろ、私たちは、知恵や法律によって自衛本能を発揮するよう求められているのかもしれない。
この世界で生きるために親との連絡を断つ.親の干渉や世話で自分の人生が空費されている感覚が強いのだろう.
残念なことに、白人労働者が情熱的に応援したトランプ大統領は、就任後2週間にして、すでに労働者たちを裏切っている。 たとえば、トランプ候補は、通称「オバマケア」と呼ばれる医療保険改革制度(Affordable Care Act)を、「もっと素晴らしいものに取り替える」と公約したが、トランプ大統領と共和党が支配する連邦議会がオバマケアを廃止した後には、多くの国民が健康保険を失うことになる。その大部分は、ヴァンスが本書で紹介しているような、トランプを応援した低所得のヒルビリーたちだ。
また、トランプ大統領は、「メキシコとの国境に壁を作り、その費用をメキシコに出わせる」と公約したが、膨大なコストを「メキシコからの製品に20%の関税をかける」ことで賄うと提案した。しかし、それはメキシコに払わせるということにはならない。アメリカの消費者が負担するということだ。アメリカは特に冬場の野菜や果物を、メキシコからの輸入に頼っている。実現したら、野菜だけでなく、すべての製品に影響が現れるだろう。即座に打撃を受けるのは、無職や低所得の国民ということになる。
本書の解説からも抜粋.2017年の政策を2025年現在の基準でChatGPTに評価させると,
- オバマケア(Affordable Care Act, ACA)廃止によって多くの国民が健康保険を失う
- トランプ政権と共和党はACAの廃止を試みました(例:2017年の「American Health Care Act」案)。非党派機関CBO(議会予算局)は、これによって数百万人が保険を失うと予測しました。ただし、完全な廃止は成立せず、一部条項の撤廃(個人への保険加入義務の罰則廃止など)に留まりました。
- 「メキシコに壁の費用を払わせる」→ 実際にはアメリカ国民にコストが転嫁される
- トランプは当初、壁の建設費をメキシコに直接支払わせると主張していましたが、実際にはそのような支払いはなく、米国政府の予算が使われました。さらに、メキシコ製品への関税提案も、最終的にはアメリカ国内の消費者への価格転嫁となるため「実質的にアメリカ人が払う」という経済学的指摘は正当です。
2025年,今まさにトランプ政権2期で関税は大盛りあがりだ.米国債の低下により90日延期したが,どうなるか分からない.