カンビュセスの籤

SF 短編 カンビュセスの籤 - YouTube

所感 ミートキューブがキーワードだと思った。

「クジを引くために生まれてきたんじゃない」(=クジを引いて死ぬことへの忌避感)という思いで出会った二人だけど、僕は個人的には「むしろ生きることが籤を引くことなんじゃないか」と思っている。 現代文明にいると分かりにくいけど、本来自然は厳しくて、すぐ脇道には死がある。と個人的には思う。僕はモロッコの自動車事故がそう.

個人的な死生観だけども人間は生まれてくる時冥界から籤を引いて生まれてきたんじゃないかって。 だったら生まれてからも生き続けるための無数の決断は籤を引いているようなものだ。例えば賞味期限を少し過ぎた食べ物を食べることがあるけどそれで何事もなく生きられたなら籤でハズレをひかなかったことになる。

だから生きること自体の目的性は自分は受け入れているつもりだ。


むしろ「カンビュセスの籤」に出てくる籤の後味の悪さは「他人の犠牲によって自分が生きながられる」システムに尽きると思う。

これって、まさに現代の社会保険料じゃないか。未来のある若者から高額の社会保険料という名の税金を取り立て、余命数年の老人の延命治療に使う。

・社会保険料(未来ある若者の血税)という「金」 ・ミートキューブ(籤で選ばれた人間の加工肉)という「食料」

どちらも他人の犠牲の上に成り立っているものを「制度」によって、一見分かりにくくしている。綺麗に対比が取れている。

犠牲を可視化して偽善を暴き、偽善制度を破壊する 生涯かけて追い求める目標になりうると思う。


追記。クソ細かいことやけど「24人のうち23人をミートキューブにしてエステルは23回1万年人工冬眠した」って話は計算おかしい。 仮にエステル以外を全部同じ体積の大人と仮定すると、1人目の父親で作れるミートキューブが23人分の食料になったんやから、2人目は23人分の食料で22人生かせれば良いので1人分余る。繰り返すと、エステル1人が残った23万年時点には276人分余ってるはずなので、少なくとも299万年までは1人で生きられるはずなんよな。 ま、読者ついてこれんからこういう設定にしてるんやろうけど。